第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 9

昭和19年(1944)5月20日、第二次大戦が終わる前年の5月20日の日記です。

 

このころのアジア

日本とタイ王国以外は、すべてが欧米の植民地で、欧米からアジアは搾取(さくしゅ)されていました。

日本の戦争目的は、欧米列強からアジアの解放でした。

だから,戦争の名前は大東亜(だいとうあ)戦争という名前でした。

日本は戦争に負けましたが、戦争目的を達成することができました。

アジアは独立しました。解放されました。諸説あるでしょう。

しかし、イギリスもフランスもオランダもアジアの植民地と利権をすべて失いました。白人の下で、現地人をこきつかってきた華僑(外に出たシナ人たち)も、利権を失いました。だから、東南アジアでは、華僑が日本を恨んで、反日の教育をしています。

 

 

日本は戦争に負けましたが、アジアの解放が成功した(戦争目的を達成した)事実を知られたら困るアメリカが、事実を隠すために、日本とアメリカだけが戦った戦争の名前に変えてしまいました。

このウソに今も引きずられています。

その戦争名は太平洋戦争と言いますが、この名称はウソでは?負けたから無理やり使用させられている名称ではないでしょうか。

 

再掲

 

単語解説
雑嚢(ざつのう)とは? 大辞林より
 

 

雑嚢=現在のショルダーバック。リュックやバックパックは背嚢(はいのう)と言っていました。
 

第二次大戦前はプラスティックが発明されていませんし、流通していませんから、バッグの素材は皮革製か、布製でした。
 

第二次大戦前は「テスト」のことを「考査」(こうさ)と言っていました。
 

三高というのは旧制第三高等学校、つまり京都大学教養学部。
 

じつは、大村高校応援歌の一つ、大村高校「壮行歌」は、旧制三高(京都大学教養部)の逍遙(しょうよう)歌なのです。

 

つまり、京都大学の「紅萌(くれないも)ゆる岡の花」は、すなわち、メロディーにあわせて歌ってみれば、大村高校応援歌の一つ「壮行歌」は、実は、京都大学の逍遙(しょうよう)歌だと、わかると思います。↓
 

京都大学


 

大村高校
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-14-20-23-01

 

*読み方 参考
1.男子(だんし)一度(ひとたび)立たん時
 

2.風雲 逆巻(さかま)き襲いきて
男子(おのこ)の脾肉(ひにく)
 

3.悠久(ゆうく)の義に生きんかな
 

旧制三高の「紅萌ゆる岡の花」は十一番までありますが(上記動画は4番まで)、大村高校壮行歌は三番までです。

 

旧制三高に進学した大村の先輩方も、さすがに十一番までは詩文が創作できなかったのかもしれません。
 

第二次大戦前は、普通に、大村の在校生は京都大学の逍遙歌を歌っていたんですね。

 

【在校生向け】情緒による志望校選び。そして旧制一高(東大)、旧制三高(京大)文化を残す大村高校


 

【在校生向け】大村高校と応援歌でつながる、旧制一高(東大)・旧制三高(京大)・旧制五高(熊本大)


 

第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 8

 

数学で勝った日露戦争の奉天会戦(ほうてんかいせん)- 第1軍(黒木大将)参謀が大村の福田先輩

 

【在校生向け】オールドメディア(新聞、TV)が67年間も隠していたこと

 

第二次大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 1

 

第二次大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 2

 

第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 3

 

第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 4

 

第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 5

 

第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 6

 

タイ映画クーガム(=運命の人)と日本人

 

第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 7

【このページの情報を拡散する】