第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 9

昭和19年(1944)5月20日、第二次大戦が終わる前年の5月20日の日記です。

単語解説
雑嚢(ざつのう)とは? 大辞林より

雑嚢=現在のショルダーバック。リュックやバックパックは背嚢(はいのう)と言っていました。

第二次大戦前はプラスティックが発明されていませんし、流通していませんから、バッグの素材は皮革製か、布製でした。

第二次大戦前は「テスト」のことを「考査」(こうさ)と言っていました。

三高というのは旧制第三高等学校、つまり京都大学教養学部。

じつは、大村高校応援歌の一つ、大村高校壮行歌」は、旧制三高(京都大学教養部)の逍遙(しょうよう)歌なのです。

つまり、京都大学の「紅萌(くれないも)ゆる岡の花」は、すなわち、メロディーにあわせて歌ってみれば、大村高校応援歌の一つ「壮行歌」は、実は、京都大学の逍遙(しょうよう)歌だと、わかると思います。↓

京都大学


大村高校
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*読み方 参考
1.男子(だんし)一度(ひとたび)立たん時

2.風雲 逆巻(さかま)き襲いきて
男子(おのこ)の脾肉(ひにく)

3.悠久(ゆうく)の義に生きんかな

旧制三高の「紅萌ゆる岡の花」は十一番までありますが(上記動画は4番まで)、大村高校壮行歌は三番までです。

旧制三高に進学した大村の先輩方も、さすがに十一番までは詩文が創作できなかったのかもしれません。

第二次大戦前は、普通に、大村の在校生は京都大学の逍遙歌を歌っていたんですね。

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