昭和19年(1944)4月 敗戦の1年前です。大村高校の前身・旧制大村中学の入学式の日です。
当時は1学年3組制で定員100名でした。女性は、大村高等女学校で、別の学校でした。
在校生日記に関しては、デジタル化して電子本にしました。
この大先輩である作者は早くに亡くなられ、80年も前に書かれたものです。すでに著作権は切れています。したがって、日記を書かれた先輩に敬意を表するならば(リスペクトする意思があるならば)、同窓生有志に、配布可能です。
長崎県の先生方は、私が生徒だったとき、正規の授業中に「苦しい軍事教練ばかりで、戦中は、軍国主義でダメだった」と話されましたが、日記を読むと、軍事教練が苦しかった話など、でてきません。ウソを教えてきたのが、長崎県教育委員会と長崎県の教師だったのでしょうか。
↓対面式の日の気持ち

「告別式」というのは、現在は、お亡くなりになった人を、お葬式の時に送り出す儀式ですが、当時は「離任式」の意味で用いられていました。
戦中は、帝国海軍や帝国陸軍から佐官(さかん=大佐、中佐、少佐)級、あるいは将官級(大将、中将、少将)の軍人を招いて、時局講演会が実施されていました。
帝国海軍も海上自衛隊も礼装はほぼ同じです。上記の日記に登場している帝国海軍の山口中佐は講演会で、旧制大村中学の生徒相手に、礼装でなされたのだと思います。

大村の先輩からは、陸軍大将を出しています。日露戦争時、第一軍(奥大将)の作戦参謀で、台湾軍総司令官(戦前は台湾は日本領)のあと、陸軍大将。片町・鶴亀橋での陸軍大将の写真(リンク先)があります。
他、この在校生日記の別の日に記されているのですが、大村の先輩で、当時、帝国陸軍のNo.2(階級は中将)だった奈良 晃(ならあきら)先輩が、旧制大村中学で講演されています。アメリカ留学経験がある立派な軍人でした。
奈良先輩に関して
*軍人の階級(自衛隊も、旧帝国海軍、旧帝国陸軍と同じで、やっと、わかりやすい階級制度に戻るようです)。
戦前の陸軍士官学校、海軍兵学校、現在の防衛大学校を卒業したら、最初から少尉です。それから、運が良ければ、大将まで昇進できます。
軍隊で、上の階級に行くためには、入り口が重要なのです、どこの国でも同じです。二等兵から上がって行っても、大尉で昇進が終了です。

機動戦士ガンダムで、戦果を上げ続けるモビルスーツパイロットのアムロ・レイが、大尉までしか昇進できなかったのは、アムロは士官学校(防衛大学校)を出ないまま、軍に採用されたからでした。
11秒より アムロのブリーフィング(「逆襲のシャア」より)
現在と違い、TVもネットもありません。情報源は、新聞かラジオか、人の話だけでした。佐官級、将官級の帝国海軍、帝国陸軍の方々は、視野が広く、海外経験も豊富だったため、日常とは違う話が聴けたようです。当時の教員、現在の教員などとはレベルが違うのです。
大村高校の前身・旧制大村中学は、さすがは伝統校というだけあって、戦中でも、きちんと行事が実施されていたことがわかります。
*海上自衛隊東京音楽隊 2024年東京 日本橋・京橋まつり:
東京では、大村、長崎、そして佐世保のように、自衛隊のパレードに左翼の妨害が乱入することがありませんので、ご安心ください。
左翼に好き勝手させている長崎県の教育、長崎県庁の姿勢が間違っていますよね。東京は違います。
*海上自衛隊 横須賀音楽隊
千葉県 館山基地にて 新世紀エヴァンゲリオン
*宇宙戦艦ヤマトで海上自衛隊
