↑昭和20年(1944)5月2日、戦争が終わる前年です。
上記文中2行目、「就中」の読み方=「なかんずく」
「なかんずく」の意味:
新明解国語辞典より
大辞林より
奈良中将というのは、帝国陸軍No.2だった、大村高校の前身・旧制大村中学8回卒の奈良晃(ならあきら)先輩のことです。
上記文中にあるように、陸軍士官学校(現、防衛大学校)800人中27番で卒業。
*帝国陸軍のNo.2・陸軍中将だった奈良先輩に関して wikipediaより
奈良先輩は、戦中の東條英機(陸軍)首相とは、意見が合わなくて、非常に仲が悪かった人のようです。
開戦を決定した東条英機首相はアメリカ留学経験がありませんでした(ドイツに数年間滞在経験あり)。
陸軍中将だった大村の奈良先輩、そして海軍の山本五十六(いそろく)大将(新潟県長岡市出身)は、アメリカ留学経験がありました。
だから、アメリカの本質をしらない、アメリカ留学経験がない対米開戦派とは話が合わなかったのかもしれません。
現在だと、長崎県出身で長崎大学を出た先生が、実体験のない東京のことを知ったかぶりで、間違いだらけのことを語るような感じなので、実体験のある東京の大学経験者とまったく話が合わなくて、わかりあえないですよね。
アメリカ実体験のない開戦派と、実体験があるアメリカ留学経験者と、話がかみ合わなかったのは、現在と照らして考えてみると、おそらく、そのような感じと似たようなものなのでしょう。
*↑注:歩兵第46連隊というのは、大村に駐屯(ちゅうとん)していた陸軍の連隊
歩兵第46連隊とは?wikipediaより
息子さんの動画「我が父、奈良晃を語る」
アジアの解放という目的で大東亜(だいとうあ)戦争という名前でしたが、アメリカに敗戦したため、アメリカから、太平洋戦争という名前に変えられてしまいました。
日本の戦争目的はアジアの解放でした。日本は戦争に負けましたが、戦争目的を達成し、欧米列強からアジアの植民地解放ということは成功しました。イギリスも、フランスも、オランダも、アジアの植民地をすべて失いました。
*第二次大戦前のアジア

第二次大戦前は、日本とタイ王国以外、アジアはすべてが欧米列強の植民地でした。
欧米列強の植民地からの解放という意味で「大東亜(だいとうあ)戦争」という名前でしたが、戦争に負けたのに、戦争目的を達成したことが知られることがまずいと考えたアメリカが、アメリカと日本だけが戦ったようなイメージの戦争名「太平洋戦争」という名前に変えてしまいました。
日本は、アメリカ以外、すべてに勝っています。
他、大村からは陸軍関係として、陸軍大将の福田雅太郎(ふくだまさたろう)先輩、陸上自衛隊幕僚長(軍の階級なら大将)志摩篤(しまあつし)先輩を出しています。
*軍の階級(産経新聞より):自衛隊も軍と同じ階級に戻すようです(陸軍士官学校、海軍兵学校、防衛大学校を卒業したら、最初から少尉です)

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