【在校生向け】燃えよ紫紺にうららかに(大村高校第一応援歌より):35年前です

撮影は昭和55年、1980年。第二次大平内閣が解散し総選挙(6月)前の5月に撮影されたものです。大平首相は、選挙期間中に急死され、大きなトピックとなりました

35年前、大村高校そば

大村高校前です。総選挙のポスターが見えます。
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同じ場所で、現在(グーグルストリートビューより)
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大村高校前の昭和52年(1977)にできた「長崎ちゃんぽん」だけは、今もそのままです。このころ金子饅頭はありませんでした。

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大村高校前には大村市民体育館がありましたが、現在はなくなっています。市民体育館は、統合前の大村中学校でした。玖島中学校は、大村中学校、鈴田中学校、三浦中学校が統合されて1970年に開校しました。
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同じ場所で、現在(グーグルストリートビューより)
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おなじころ、東京池袋

そのころの東京。西武デパートの「おいしい生活」というキャッチが流行していました。地下鉄・有楽町線の池袋駅で撮影。池袋には立教大学があります。
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池袋駅前。当時、日本一だった池袋のサンシャイン60ビル。今は中国から排出されるPM2.5によって日本の大気がよごれていますが、当時は自動車の排気ガスによる光化学スモッグが話題になっていました。中央部に光化学スモッグ警報ボードで濃度のPPMが表示されています。

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同じ場所で、現在(グーグルストリートビューより)
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おなじころ、たまたま写っていた在校生

以下の写真は、昭和55年(1980)5月ころだから、たぶん、33回卒か34回卒か35回卒の二人。あなたは何回卒だった? 大村公園の風景写真を撮影中、たまたま写っていたものです。だから、人物にピントがあっておらず不鮮明です。

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女子のかばんを、自転車に積んでいないので、つきあっている二人ではなく、部活終了後、たまたま二人で帰ることになったように見えます。

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つきあっているなら、カバンを自転車に積んであげたり、もっと接近しているでしょう。場所は、大村高校ボート部の艇庫から大村公園の二重馬場に行く途中です。

同じ場所で、現在(グーグルストリートビューより)
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当時は盗撮という言葉はありませんし、肖像権という権利も確立していませんでした。

というより、当時の写真はフィルムを使用していて、フィルムは価格が高く、現像、プリントをするとフィルム代と合わせても、けっこうな金額になり、気楽に撮影できないものでしたから、記録に残るというのは、希少なことで、また、お金がかかりました。

そして大村高校前にあった大村中学と今の新・大村中学

さて、現在の須田ノ木にある新・大村中学校は、その後、玖島中学から分離独立したものです。以前は大村高校前の久原にありました。

昭和43年(1968)の大村市政だよりより
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以下は、玖島中学校から分離独立した、開校時の新・大村中学校(須田ノ木)の校長先生のお話。

大村市立大村中学校の開校時に、第一回卒業生のために、校長先生によって、タイムカプセルが残されました。

残念ながら、校長先生は、大村中学でタイムカプセルが開封される前に他界され、25年後の生徒の姿を見ることができなかったと、リンク元ブログありました。

大村中学タイムカプセルより全文引用

立派な文章です。各方面、すべてに気をつかい、生徒の将来も考えていらっしゃいます。

「心覚え」   校長 平野 力

真空からは何も生まれないという言葉がある。人が学んでいくためには、それなりの基盤が必要である。また学んでいくときの思考、処理方法がなくてはならない

プラス意欲と根気も大切な要素となり、これからの問われる教育は学んだ力、プラス学ぶ力であろう。

人間成長の基礎はその人の十代に決まるといえる人を多く知っている。その共通したところは「心覚え」のしっかりしたものを持っている。勉強には面倒でも辞書を引き、計算をし、物を書き自ら研究工夫をしなければ勉強とは言えない。

希望と夢を持つ、そして拓くために具体的な計画を立てる、目標を定める、成るための努力をする。確かな勉強が必要になってくる。自主的に、自分のやり方で勉強する、その心覚えをいつも忘れないでほしいと生徒にいう。

平凡な人間で終わるな、一技一能を身につけよ、学校は中学校が始まって四十年になる。昔の大中が二十年、玖島中が二十年、我が大中は一年である。新生大村中学校の歴史は今始まった。その歴史の一頁を輝くものにし、校風の礎を固める大中生徒である。

創業の苦心は本校とて同じであるが十四億円もの資金を投じて、何もかも新しい、恵まれた教育の殿堂を建設して下さった市や県や地域社会の人々に感謝し、美しくゆかしい、校風と伝統が樹立されるように、職員も生徒七百名もみんなしての願いであろう。

義務教育九ヵ年を終わろうとしている第一回生、ここに二百三名が希望に輝いている。
自分とはどんなものかということをいくらかは知る力が与えられたと思う

鏡に写してみる自分の姿は、形としてははっきりとつかめるであろう。自分の性格や心というものが鏡に出てくるとよいのであるが、その自分の心が 見える自分に成長してくれるものと信じたい。それは自分をきびしく見つめることのできる知性(知恵)を磨かねば見えないからである。自分の力を磨くこと も、自分の力を生かすことも、将来を拓くこともこの知性が必要だと思います。

私は二十五年後の、皆さんの姿と皆さんの学んだこの学校の姿を、共にこの眼で見たいものだと思う。

大村中学校に寄せることば

すばらしい校舎が出来た
これからはみんな一緒だ
三城、旭が丘、東大村
よろこびに心もはずむ
新たなる決意をもって
樹立しよう 新校風を
踏み出そう 理想への道を

昭和六十二年三月(明治一二〇年春)一九八七年

校長先生の実力

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