集(つど)いて
集(つど)う・・・人々が、ある目的を持って、ある場所に集まる(大辞泉より)
この場合の集うは、「人々が、ある目的を持って、ある場所に集まる」と考えると、後の讃(たと)ふに係るのではなく、前の「先覚の道、われら受け継ぎ集う」に係り、そして、「讃ふ青春の憧れ」だと思います。
したがって、「先覚の道、われら受け継ぎ 集いて」=「わたくしたち(大村高校在校生)は、大村の先覚者の方々の精神を受け継ぐべく、(何らかの縁があり)、大村高校に集まって」ではないでしょうか。
讃(たと)ふ青春のあこがれ
讃(たと)ふ:「讃(たた)える」、つまり、「人や物事をほめたたえること」。
青春:人生の春の時期。現在、人生80年。80年を4分割すれば、人生の春が0才~20才。夏が20才~40才。秋が40才~60才、そして冬が60才~80才以上、ということにならないでしょうか?
あこがれ・・・
理想とする物事に強く心が引かれること(大辞泉より)
したがって、「讃(たと)ふ 青春のあこがれ」=青春のあこがれを讃(たと)ふ=「人生の春の時期(つまり高校生活)をたたえようではない」の意味だと思います。
まとめ
意訳:「先覚の道、われら受け継ぎ集いて、讃(たと)ふ青春のあこがれ」=「わたくしたち(大村高校在校生)は、大村の先覚者の方々の精神を受け継ぐべく、(何らかの縁があり)、大村高校に集まってたのだから、二度とない人生の春の時期(つまり高校生活)、はげましあい、たたえあいましょう」