*写真出典:大村高校1000日1000枚
大村高校の広大なグランドは、実は、長崎県に購入してもらったものではありません。
他の高校は、長崎県に税金で購入してもらっているようです。
たとえば、大村高校の分校として開校した諫早高校は、開校以来、90年もの長い間、長崎県からグランドを購入してもらえず、諫早商業高校と共用グランドでした。2010年代になって、諫早高校はやっと長崎県から税金によってグランドを購入してもらい、そのことが、うれしくてたまらないようで、大げさに自慢しているようです。また、私立・青雲学園のグランドは、補助金(税金)で購入されたものです。
しかし、大村高校はそうではありません。
*写真出典:大村高校1000日1000枚
約90年前、卒業生の寄付で、多額の購入資金を捻出(ねんしゅつ)し、卒業生が、自分たちで購入し、大村高校に寄付したのです。
また、畑だった土地を整えて、運動ができるグランドにしたのも、卒業生です。
*写真出典:大村高校1000日1000枚
グランドは、まったく長崎県のカネも力も借りず、卒業生が資金を出し合い購入し、整地し、未来の生徒のために、卒業生が寄付したのです。
グランドに関して、長崎県は1円のおカネも出していません。
長崎県は、グランド購入時に、校長や同窓会に、露骨にいやがらせして、購入を妨害し、購入に反対しました。記録も残っていますし、歴史的な事実です。また、長崎県は、購入を決定した校長をクビにして、長崎県内から追い出しました。カネも出さず、購入に反対し、いやがらせして、将来の生徒のことを考えていた校長をクビにし、県内に住めないようにした長崎県の手口。
実は、
- 旧制大村中学設立時
- 現在の敷地に移転時
- そしてグラウンド購入時
長崎県は、大村にカネも力(ちから)も貸さず、いやがらせばかりしてきた歴史があります。長崎県は器量[きりょう]が小さく、嫌がらせが好きな県であることがわかります。他にも長崎県は大村に、数々のいやがらせをしてきた歴史があります。
明治時代から、大村高校は、長崎県に貢献する人を最も多く出しているのに、長崎県は、いまだに、さまざまないやがらせを続けています。長崎県の小・中・高で、児童・生徒・教師の間に嫌がらせがなくならないのは、長崎県自身が、陰湿ないやがらせが大好きな県だという体質があるからなのです。
さて、話を元に戻します。
グランド購入時、当時の教員たちも、購入に反対しました。
今も昔も、学校の先生は視野が狭い職業だからなのか、世間が狭い職業柄なのか、目先のことだけで、未来のことを考える頭がないように見えます。思考停止して、何でも反対する先生が、昔からいたことが明らかになっています。
*写真出典:大村高校1000日1000枚
もし、当時の、歴代の校長先生方が、自主性を発揮しないで、他校のように長崎県のいいなりになっていたら、今の大村高校はなかったかもしれません。
なお、現在の校長先生の権限と責任と予算は、戦前の校長先生とはずいぶん違っています。
かつては、権限も責任も予算も校長先生にあり、健全な学校運営がなされていたようです。
しかし、現在、外部では、権限と予算は教育委員会が握り、責任だけ校長先生に押しつけられています。
また、学校内部では、「仕事をなまけたい」と集団で主張ばかりする、いいたいほうだい・やりたいほうだいの先生たちがいます。
ご存じのように、教育に政治を持ち込み、自虐史観(じぎゃくしかん)を生徒にねじ込み、組合活動で仕事をさぼり、日本の教育を破壊している日教組(にっきょうそ、民主党・社民党)や全教(ぜんきょう、共産党)の方々です。
これらの先生のグループが、校長先生のいうことを聞かないため、学校の健全な運営を妨げているようです。
したがって、校長先生は、かなりきびしい立場となっています。
参考:長崎県の教員が植え付けるウソ=自虐史観(じぎゃくしかん)について
私は毒されませんでしたが、長崎県教育委員会と長崎県の教員たちがさまざまなやり方で児童・生徒に植えつけている「自虐史観(じぎゃくしかん)」とは?
長崎県教育長や長崎県教育委員会の目標は、自虐史観を児童・生徒に植えつけて、中国・韓国の奴隷になることのようです。だからさまざまな理由で修学旅行を中国・韓国ににさせたがり、台湾と縁のある平戸に、嫌がらせをしているのです。自虐史観を植えつける長崎県の教員たち、その上流の長崎県教育長や長崎県教育委員会に騙されないようにしましょう。
*祝!令和6年4月19日
自虐史観を否定した、わが国の歴史をきちんと学べる教科書が文部科学省の検定に合格しました。ウソの歴史を押しつけてきたサヨク教員の集合体である長崎県の教員らは採用はしないでしょうが、今後、必要になる歴史ですから、入手して読んでおくことをお勧めします。
*写真出典:大村高校1000日1000枚
大村高校は、346年前・集義館として藩主・大村純長(おおむらすみなが)公が開校され、明治となり、132年前・私立大村中学として米国・ハーバード大学出身の大村純雄(おおむらすみお)伯爵が、開校された後も、建学の精神は変わっていません。
長崎県から反対されるたびに、当時の、歴代校長先生方と卒業生が協力し、地元の有志と、大村のみならず、全国や海外に散った卒業生が力をあわせ、望みをかなえるため、長崎県や一般教員たちの反対をかわしてきた歴史があります。
在校生はクールでおとなしいが、卒業生となると、頼ってばかりの他校卒業生とはひと味違う気風が、知らず知らずのうちに身についている。そこが、大村高校の魅力なのです。