11月3日から日本で公開されるゴジラ マイナスゼロ、大村の橋口先輩が開発責任者だった二式大艇(にしきたいてい)が登場する

ゴジラマイナス0,0予告編:↑二式大艇を追いかけるゴジラ

45秒より 二式大艇登場

*九七式飛行艇、二式大艇の開発統括責任者だった橋口先輩について:

経歴:大村市竹松出身
大村市立竹松小学校→旧制大村中学校(現、大村高校)→国立第五高等学校(現、熊本大学)→東京大学工学部船舶工学科卒→志願して帝国海軍へ

 

*橋口先輩について:
進学のエピソードとしては、旧制第五高校に推薦で入学の予定でしたが、旧制大村中学から旧制五高に進学した先輩が、五高で落第したので、熊本の五高から「大村のやつは、落第したから、大村の推薦入学は信用できないから入学は許可できない」と通知。

 

推薦合格がダメになったのです。

 

今も昔も、本人の意思とは関係がないところで、突然、想定外のことが、降りかかってきます。

 

推薦を取り消された橋口先輩は、一般入試で合格されました。

 

*以下は橋口先輩のインタビューより:入試のこと

 
橋口先輩のインタビュー記事

大村の先輩のインタビュー記事が見つかりました:マラソン大会1回〜3回優勝、帝国海軍No.2の技術将校(竹松小出身)

 

↑文中に登場する校長先生の渋江小磨策(しぶえ こまさく)氏は、旧制大村中学一期生。つまり、ノーベル物理学賞の朝永振一郎博士の父である朝永三十郎先輩や、大阪大学第二代総長となった楠本長三郎先輩と、旧制大村中学で同期でした。

 

そして渋江校長は、今も続く大村高校のマラソン大会の創始者で、マラソン大会第一回から三回までの優勝者が、橋口先輩でした。

 

マラソン大会

【在校生向け】大村高校マラソン大会は、すでに100年を越えた歴史があります

 

二式大艇開発の話

【在校生向け】動画あり:竹松小出身・橋口先輩が統括した日本初の飛行艇、そして紫電改(しでんかい)

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