昭和100年と大村高校、そして機動戦士ガンダム

写真↑:産経より 昭和100年記念式典で 高市首相

令和8年4月29日、昭和改元から100年。

機動戦士ガンダムを生み出した富野由悠季(とみのよしゆき)氏が、勲章を授与されました。

大村高校は、長崎県で唯一、天皇陛下の行幸を賜(たまわ)った高校です。長崎県内で学校番号1番だと自慢しまくりの長崎東高ですが、天皇陛下の行幸は賜っていません。県内で長崎県が決めた学校番号だけ1番ですが、日本は長崎県だけしかないのではありません。

さて、中国と共産主義が大好きな左翼寄り長崎県の教員たち+長崎県教育委員会は、大村高校が天皇陛下の行幸を賜った、この事実を隠しまくりで、事実を知らせない姿勢を貫いているようですので、事実なので、当サイトでお知らせしたいと存じます。事実を知らせると文句とイチャモンをつけるのが、彼らの習性のように見受けられます。

その前に、高市首相の昭和100年式典の式辞動画と全文:全文は産経より

本日、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、昭和100年記念式典を挙行致しますことは、誠に喜びにたえません。

本日の式典に、ご協力を頂いた関係者の皆さま、ご参加を下さいました皆さまに、心よりお礼を申し上げます。

私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代を顧み、わが国の伝統や歴史の重みをかみしめながら、将来に思いを致す機会としたいと思います。

昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有の変革を経験した時代でした。

先の大戦の後、昭和天皇は、全国各地を巡幸され、戦没者・戦争犠牲者のご遺族をいたわり、戦後復興に勤しむ国民の皆さまを励まされました。

日本人は歯を食いしばって働きました。

「もはや戦後ではない」

1956年。先人たちは、終戦からわずか10年で、日本経済を再び立ち上がらせました。その後、果敢な挑戦により、わが国の経済規模は世界2位にまで駆け上がっていきます。

「霧は晴れ 国連の塔は 輝きて高くかかげし 日の丸の旗」

同じ年、日本は国連に加盟します。重光葵(しげみつ あおい)外務大臣は、ニューヨークで高らかに詠い上げています。国際社会への復帰は、日本の悲願でした。

その年、イタリア・コルティナで、スキーの猪谷千春選手が、冬季五輪で日本人初のメダルを獲得します。日本人がいない米国の大学に留学し、スキーと勉学の両立に励んだ上での快挙でした。日本中が歓喜に沸きました。

今日より明日はよくなる。70年前の昭和の日本には、「希望」が確かにありました。

令和の現在、日本と世界は大きな変化を迎えています。日本においては、静かな有事とも言うべき少子化・人口減少の進行、長期にわたるデフレから一転しての物価高、潜在成長率の低迷、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境。

そして、世界を見渡せば、国家間の競争が激化・複雑化・常態化し、私たちが慣れ親しんできた自由で開かれた安定的な国際秩序は大きく揺らぎ、政治・経済の不確実性が高まっています。

今こそ、激動の昭和を生き、先の大戦や幾多の災害を乗り越え、「希望」を紡ぎ出した先人たちに学び、私たちも果敢に挑戦していく必要があるのではないでしょうか。

全国各地で、昭和100年関連行事が実施されています。昭和の躍動や体験を発掘し、次世代に伝承していく取り組みや、昭和の挑戦を振り返り、未来を切り開いていくための企画展示などが展開されています。これらが、特に、若い世代の方々に先人たちの叡智(えいち)や努力を知り、これからの挑戦のきっかけとなることを願っています。

挑戦しない国に未来はありません。守るだけの政治に「希望」は生まれません。

本日の式典には、ボーイスカウトやガールスカウトで活動している青少年、世界青年の船や東南アジア青年の船に参加した青年など、次代を担う若者たちが参列しています。

今年初めて投票してくださった18歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、その多くが、22世紀を迎えることができるでしょう。その時に、日本が安全で豊かであるように。「インド太平洋の輝く灯台」として、自由と民主主義の国として、世界から頼りにされる日本であるように。若者たちが、日本に生まれたことに誇りを感じ、「未来は明るい」と自信を持って言える。そうした国を創り上げていく。

「日本列島を、強く豊かに。」

日本に「希望」を生み出していくことを、改めてここに決意いたします。

天皇陛下の行幸を賜ったのは昭和24(1949)年 5月25日でした。

大村高校は、長崎県内ではただ一つの、天皇陛下の行幸を賜(たまわ)った高校です。大村高校の御幸橋(みゆきばし)はその時に名付けられました。橋の題字を書かれたのが、当時の大村高校書道の山本先生でした。

*写真は大村高校グランドにおいて:天皇陛下

【在校生向け】昭和の日、そして天皇陛下をお迎えした大村高校

この日、大村高校在校生として天皇陛下の歴史的な行幸に立ち会えた志摩篤(しまあつし)先輩(大村高校5回卒)は、防衛大学校に進学。防衛大学校1期生となり、後に防衛大学校初の陸上自衛隊のトップである幕僚長(ばくりょうちょう)に就任。防衛省を退官後、勲章を受章され、皇居に参内(さんだい)、天皇陛下に謁見する栄誉を賜っています。

偕行社(かいこうしゃ)[戦前から続く、陸軍・陸上自衛隊幹部となった方々の会]理事長となった志摩先輩の講演

大村高校からは、戦前は陸軍トップの帝国陸軍・大将となった福田雅太郎(ふくだまさたろう)先輩。戦後は、陸上自衛隊トップとなった志摩篤(しまあつし)先輩を輩出(はいしゅつ)しています。

福田雅太郎 先輩

福田雅太郎
先輩

福田先輩は、日清戦争時、第一師団副官。そして日露戦争時、第一軍参謀でした。のちに陸軍のトップである陸軍大将でした。

【動画あり】日清戦争、日露戦争、そして大村高校

沿革

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