信長・秀吉・家康は、愛知・岐阜・静岡では、生きている人物のような扱いなのです

長崎市はたいした歴史がありません。1571年の大村純忠公の開港から歴史が始まっています。それ以前の歴史がありません。それ以前の歴史は大村にあります。

長崎氏は、大村の家来で、長崎甚左衛門は(ながさきじんざえもん)は大村の殿様から領地を没収され、滅びます。兄の長崎甚左衛門は滅びますが、長崎甚左衛門の弟は、大村の家来となり、大村市内で現在も続いています。

*長崎甚左衛門の弟の墓は大村にある。

何でも長崎が一番のような歴史観を押しつけてくるのが、長崎市、長崎県庁、長崎県教育委員会の特長のように見えます。事実は違いますから。大村の継続性と歴史の連続性を、長崎市の歴史家たちは、ほぼ完全に無視していますから、長崎市の発表する歴史は完全に信用しないほうが良いでしょう。

さて、中部地方ですが、今でも、信長・秀吉・家康は生きている人物のような扱いなのです。この3名の武将を、愛知県では「三英傑(さんえいけつ)」と呼ぶようです。

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