知らないより、知っておいたほうがいいかもしれません。しかし、わざわざ、知らせてくれる人は、なかなかいないものです。
大村高校生は、理科系は、目指す学科があるならば、九州大学より北海道大学、あるいは東北大学を目指しましょう!
実は、大村高校は、長崎県内の他の進学校と同じで、九州大学とはなんのつながりもありません(ただ、進学者を出すだけ)。
しかし、大村高校は、北海道大学、東北大学、そして大阪大学には、大きなつながりがあります。長崎県の先生方は何も知らないので、高校の先生はたいしたことがないことを知り、先生より詳しくなっておきましょう。
*JR東日本より
*大阪大学の初代学長、二代学長も大村出身者です。
大阪大学初代学長は大村・五教館(ごこうかん)出身の長岡半太郎先輩。
大阪大学二代学長は、旧制大村中学一期生の楠本長三郎先輩(旧制大村中学→旧制一高・理科(一浪)→東大医学部を一番で卒業)です。
*大阪大学総長時代の写真
さて、「理科系は、九州大学より北海道大学、あるいは東北大学」の理由をあげていきます。前回が北海道大学です。
<以下は書きかけで、今後も追加していきます。令和6(2024)/2/01>
大村の先輩が、東北大学理系を設立した実績がある
大村の長岡半太郎先輩が東北大学設立に関わっていました。
*東北大学百年史 6ページより引用
長岡博士は東北帝大理科大学(*東北大学 理学部・工学部)の産みの親の一人であり、理科大学(*東北大学 理学部・工学部)は長岡構想によって設立されたといってよい。
長岡半太郎先輩とはどんな人物だったのか?
一部抜粋です。
*出典:「かわりだねの科学者たち」仮説社
明治時代になるまで、日本には一人も物理学者がいませんでした。東大物理学科の初めての、そしてただ一人の卒業生として物理学者となり、明治以降、日本の物理学を切り開いたのが、大村市久原二丁目で生まれ育った、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)出身の長岡半太郎先輩です。
日本の物理学は東京大学・長岡半太郎先輩から
→京都大学 仁科(にしな)芳雄博士
→京都大学 湯川秀樹 博士(ノーベル物理学賞)
→京都大学 朝永振一郎 博士(ノーベル物理学賞):お父様の朝永三十郎氏が、大村・久原出身、そして旧制大村大村中学一期生で、同じく旧制大村中学一期生で大阪大学二代学長の楠本長三郎と同期。
*お父様の朝永三十郎先輩 旧制大村中学入学時 明治17年(1884年撮影)
旧制大村中学一期生の先輩の方々(朝永先輩の右で、腕組みしてニヒルな顔した人は、渋江小磨策[しぶえ こまさく]先輩。のちに東大文学部を出て旧制大村中学校長となり、110年続く大村高校マラソン大会を始めた人物)
湯川秀樹博士のお父様である小川琢治(京大教授)氏は、大村高校の前身である旧制大村中学校に来訪されました。
*東北大学の歴史
大村高校の前身・旧制大村中学の校歌は東北大学の土井晩翠の作詞
旧制大村中学の校歌は、旧制第二高校(東北大学教養部の前身)教授だった土井晩翠(どいばんすい)氏の作詞です。
*東北大学の雰囲気
旧制高校+旧制帝国大学時代の雰囲気が残っています。旧校舎時代(平成元年/1989年まで)の大村高校に少し似た雰囲気です。特に、部室や自転車置場を含め。
東北大学も北海道大学と同様に、ノーベル賞受賞者を出しています(九州大学はゼロ)。
*東北大学へようこそ:キャンパス別紹介
片平キャンパス
青葉山新キャンパス
*大村の先輩が、初代農学部長→北海道大学第二代総長となった北海道大学