日本の科学者100人100冊の表紙は、朝永振一郎(ともなが しんいちろう)博士。ノーベル物理学賞。
日本の科学者100人100冊に、大村高校関係の方が2名登場しているので書く。そのほかに、当方が会ったことがある科学者の方が2名登場しているのでその方のことも書く。
登場している大村関係者は2名。1人は長岡半太郎先輩、もう1人は、朝永振一郎博士。
朝永博士のお父様は(朝永三十郎 博士)は、明治17年に開校した大村高校の前身である旧制大村中学校の一期生。お母様も大村藩出身者。
日本の物理学は、日本の科学者100人100冊によれば、こうなっている。
長岡半太郎(大村出身)
– 弟子 仁科芳雄(にしなよしお)博士
— —– その弟子 湯川秀樹(ノーベル物理学賞)
— —–湯川秀樹と同期 朝永振一郎(ノーベル物理学賞)
物理という単語は、日本人が創り出した。中国語にはなかった。そのせいか、科学の分野でノーベル賞受賞者は、中国人はゼロ。人口が多いだけの中国人より、日本人のほうが優秀であることが証明されているのではないだろうか。
仁科博士(日本の科学者100人100冊より)
長岡半太郎 先輩(日本の科学者100人100冊より)
当方が出会った科学者の先生は2名。1人は糸川英夫(いとかわ ひでお)博士、もう1人は渕一博(ふちかずひろ)博士。
当方は現役で大学を不合格となり、入学した予備校で、糸川先生による「入試突破作戦」という講演があり、直接お話を聴くことができました。
惑星イトカワに行って戻ってきたハヤブサ。ハヤブサは、第二次大戦中に糸川博士が開発した陸軍の戦闘機の名前です。隼(はやぶさ)のほか、戦闘機の鍾馗(しょうき)も糸川博士が開発。
小惑星探査機「はやぶさ」帰還編
戦闘機 隼(はやぶさ)
さて、本当に「頭がいい」人の特長は、難しいことをわかりやすく伝える能力があるように思えます。糸川博士も、後述の渕博士も、そのような方のように見えました。
渕博士は、佐賀県鹿島市の鹿島高校出身。
当方が大学のときに、お話する機会があり(短時間)、その時に出身を聞かれ「大村です」と言ったら、「鹿島の反対側の大村ですか?」とおっしゃった。