ゴジラマイナス0,0予告編:↑二式大艇を追いかけるゴジラ
45秒より 二式大艇登場
ゴジラマイナスゼロ 公式
予告その2
予告 ファイナル
*九七式飛行艇、二式大艇の開発統括責任者だった橋口先輩について:
日本初の飛行艇を開発:それまで日本には飛行艇はありませんでした。
下の動画をご覧ください。↓九七式飛行艇についてです。この飛行艇が進化し、二式大艇となり、現在の海上自衛隊USー2飛行艇につながっています。
↓
8分55秒頃から橋口先輩の名前が登場
経歴:大村市竹松出身
大村市立竹松小学校→旧制大村中学校(現、大村高校)5年制→国立第五高等学校(現、熊本大学)3年制→東京大学工学部船舶工学科卒→志願して帝国海軍へ→終戦時、帝国海軍の技術部門でNo.2の帝国海軍・技術少将でした。
*海上自衛隊の飛行艇・US-2と帝国海軍・二式大艇の比較:80年以上前に、ここまでの飛行艇を完成させていた
*橋口先輩について:
進学のエピソードとしては、旧制第五高校に推薦で入学の予定でしたが、旧制大村中学から旧制五高に進学した先輩が、五高三年生の進級時に落第したため、熊本の五高から「大村の推薦入学は、落第生を出したから信用できない、だから推薦入学は取り消す」と通知。
推薦合格がダメになったのです。
今も昔も、本人の意思とは関係がないところで、突然、想定外のことが、降りかかってきます。
推薦を取り消された橋口先輩は、一般入試で合格されました。
*以下は橋口先輩のインタビューより:入試のこと

第五高等学校には、一般入試で22名が受験し、合格したのは二名だけでした。↓
続き

大村のスピリットは自立と体力です。江戸時代は独立して自立していました。何でも幕府のいいなりを260年続けたためか、言うとおりのことしかできないスピリットの長崎県庁や長崎市とは違います。
江戸時代から、自分の意思で考え自立していた大村。
長崎県庁や長崎市は、第二次大戦直後はアメリカのいいなりで、各学校の校歌を廃止し(他県はアメリカの言うことを聞かなかったので戦前の由緒正しい校歌が残った)、広島は原爆ドームが残ったのに、長崎はアメリカの言いなりで、原爆の遺産(浦上天主堂)を廃棄してしまい、今は中国のいいなりなのかな?
長崎県庁や長崎市と同じレベルにされたくないですよね。
橋口先輩のインタビュー記事
↑文中に登場する校長先生の渋江小磨策(しぶえ こまさく)氏は、旧制大村中学一期生。つまり、ノーベル物理学賞の朝永振一郎博士の父である朝永三十郎先輩や、大阪大学第二代総長となった楠本長三郎先輩と、旧制大村中学で同期でした。
渋江校長先生の経歴:大村市立大村小学校→旧制大村中学校(現、大村高校)5年制→国立第五高等学校(現、熊本大学)3年制→東京大学文学部卒
そして渋江校長は、今も続く大村高校のマラソン大会の創始者で、マラソン大会第一回から三回までの優勝者が、橋口先輩でした。
マラソン大会
二式大艇開発の話
シン・ゴジラについて↓
