九七式飛行艇について
まず下の動画をご覧ください。九七式飛行艇についてです。この飛行艇が進化し、現在の海上自衛隊USー2飛行艇につながっています。
8分55秒頃から橋口先輩の名前が登場
日本初の飛行艇・
九七式飛行艇(帝国海軍)
→二式飛行艇(帝国海軍)
→PSー1飛行艇(海上自衛隊)
→USー1(海上自衛隊)
→現在のUSー2(海上自衛隊)
大村での海上自衛隊USー2
着水は4分15秒より/ 離水は17分15秒より
世界の飛行艇を比較する
2分48秒より USー2
開発責任者として計画を統括し実現した橋口先輩の経歴
大村市立竹松小学校
→旧制大村中学校(現、大村高校)
→国立第五高等学校(現、熊本大学)
→東京大学 工学部船舶(せんぱく)工学科卒
大学時代に船の研究をしたことを飛行機に生かし、飛行機と船を合体させた飛行艇を開発。
橋口先輩のエピソード1
旧制大村中学時代、竹松の自宅から学校まで、毎日マラソンして通学。始まったばかりの旧制大村中学マラソン大会(大村公園から松原の鹿の島往復21キロのハーフマラソン)第一回から第三回まで優勝。北九州マラソン大会にも代表選手として出場。
昭和9年(1934)のマラソン大会
大村市本町・鶴亀橋方面から本町を撮影してあります。成功堂(セイコー堂薬局)、魚屋さん(魚光)が写っています。
橋口先輩のエピソード2
橋口先輩は、お父様を早くに亡くされ母子家庭で、裕福な家庭ではありませんでした。臆することなく勉強にもスポーツにも集中。旧制大村中学1年から5年まで(旧制中学は5年制)、期末試験は、英語は満点をとり続けました。
英語の錦戸先生
当時、旧制大村中学で、橋口先輩の英語の受けもちの先生は、大村に米国大統領セオドア・ルーズベルトの令嬢が立ち寄った時の通訳をした錦戸先生。錦戸先生の子孫は大村高校卒業生で東京の大学を卒業後、パナソニックに入社し、役員になり、東京大村会の会長を務めた。
錦戸先生
錦戸先生が通訳した、米国大統領セオドア・ルーズベルトの娘アリス・ルーズベルトと大村高校
錦戸先生の子孫
帝国海軍・連合艦隊司令長官 山本五十六(やまもといそろく)と橋口先輩
橋口先輩は、東京大学卒業後、帝国海軍に技術者として志願。採用時の面接官が、のちの連合艦隊司令長官となる山本五十六(やまもといそろく)。その縁で、橋口先輩は、1930年のロンドン軍縮会議で、山本五十六司令長官から呼ばれ、会議に出席されました。
橋口先輩は、のちに、戦闘機「紫電改(しでんかい)」の開発責任者にもなっています。
橋口先輩の著書
のちに橋口先輩は、航空技術者向けに本を書かれています(国会図書館に蔵書してあり、現在も閲覧可能です)。
国会図書館
国会図書館 「翼、橋口義男」で検索したもの
紀元2600年が昭和15年=1940年ですから、紀元2603年は昭和18年、1943年、戦中です。
海上自衛隊USー2飛行艇の開発に関しての理系マンガ
九七式飛行艇シミュレーション動画
参考:
航空宇宙科学博物館に行ってきました:復元中の帝国陸軍戦闘機「飛燕(ひえん)」と日本人宇宙飛行士の大卒時の卒業設計を見てきました