静岡出張、東海道新幹線で。
予定が変更になり、朝早めに静岡に着いたのに、午前中が空きました。
カフェで時間をつぶすのでは退屈なので、プラッと静岡駅周辺を散策したところ、「登呂方面」というバス停が駅前にありました。
「これってもしかして、昔、教科書にでていた登呂遺跡?」、「そうか、登呂遺跡って静岡市だったんだ」。
しかも駅から登呂遺跡まで、バスでたったの13分。大村駅から大村高校前くらいの距離だというのがわかりました。駅のインフォメーションで詳しい情報を集めたところ、博物館があると聞きました。
もう行ってみるしかないでしょう。バス代は190円。この秋から、しずてつバスは、スイカなど交通系スマートカードが利用できるようになったと書いてありました。長崎のバス会社は意識が遅れていて、全国共通のスマートカード化、あと十年くらいかかるんでしょうか?
さて、登呂遺跡は、弥生時代の遺跡です。長崎新幹線・新大村駅建設工事でも、弥生時代の遺跡が発掘されています。
なぜ「弥生」時代になったのか?「縄文」は土器の文様ですが、「弥生」はそうではありません。在校生は日本史の先生に聞いてみて下さい。そんな先生はいないとは思いますが、先生が即答できなければ、その先生は知識不足の人だと言えます。
登呂遺跡博物館では、中学生多数が社会科見学に来ていて、弥生人の貫頭衣(かんとうい)を着て、弥生人体験学習をしてました。
気がついたことは、弥生時代から、祭壇がもうけられ、収穫に感謝するようなかたちで、神様にお祈りしていたんですね。神道の起源です。それに、食器と調理するための土器が必要なため、粘土も身近にあったのですね。
中学・高校時代の教科書に「登呂遺跡」というのがあって、どこにあるのか漠然(ばくぜん)としていたのですが、これですっきりわかりました。やっぱり実際、現地に行って「見て」みないと。「聞く」と「見る」では大違いです。偶然、空いた時間に、登呂遺跡を訪問して、知識が深まりました。
大村の竹松遺跡・富の原遺跡、佐賀・吉野ヶ里遺跡からは、武器である青銅の剣(つるぎ)や矛(ほこ)が出土しているようですから、敵が攻めてきていて争いがあって使用してたのか、あるいは祭祀(さいし)用なのか。ただ当時から、青銅を精錬する技術があったことがわかります。
静岡・登呂博物館
それから、日本の稲作は、中国、朝鮮半島から伝わったと言われていますが、事実は確定していません。今後の研究と解明が待たれます。
実は、米の遺伝子は3タイプで、インド原産のインディカ米、インドネシア・ジャワ島起源のジャワニカ米、そして日本原産のジャポニカ米しかないと言われています(他にアフリカ原産もある)。つまり、朝鮮半島原産の米はないようです。
遺伝子から考えると、本当は稲作は日本から朝鮮半島に伝わったのではないかと思います。今までの常識も今後は変わっていくと思います。