*出典:TKCより
経済界で活躍中の大村高校の先輩を紹介させていただきます。
一人はサラリーマン(銀行員)として出世している先輩、もう一人は企業をおこしIPO(アイピーオー)、つまり東京証券取引所に株式を上場(じょうじょう)させた先輩です。
**上記「こだま」by Yama の歌詞に登場する「たゆたう」の意味日本国語大辞典より
**「椿説弓張月」の読み方:「ちんせつ ゆみはりづき」
ラーゼフォンTV版の台詞(せりふ)でも「たゆたふ」という言葉出てきました。この動画は映画版です。それからラーゼフォンには青い血のヒトが登場します。血の色が赤ではなく青色の生物はカブトガニです。
三菱東京UFJ銀行 副頭取 荒木三郎(あらきさぶろう)先輩
*経歴(大村高校28回卒)
大村市立大村小学校→大村市立玖島中学校→長崎県立大村高校普通科(文系)→東京大学法学部→三菱銀行入行
三菱東京UFJ銀行 役員一覧(平成28年/2016年 10月)より
公開されている写真
**自民党 宏池会(こうちかい)に講師として招かれた荒木先輩(常務時代:現在は常務より上の副頭取)
出典:岸田外務大臣(当時。のちに首相)のホームページより
岸田外務大臣(当時。のちに首相)
荒木先輩
**出典:三菱東京UFJ銀行英語版HPより(常務時代)
**下 写真 出典:産経新聞関西版より 写真右側(常務時代)
左の方、真ん中の方は、ただ勉強だけやってきたような青雲タイプで、受験勉強で人生のすべてのパワーを使ってしまい、大学入学と同時に終わったような、なんだかやる気がなく枯れている感じに見えます。
しかし、大村高校の校是である両道不岐(りょうどうふき)タイプの荒木先輩(右)には、枯れた二人と違い、やる気がみなぎっているように見えます。
荒木先輩と同期だったオーストラリアからの交換留学生デール・アンダートンさん(高2の九月から高3の七月まで大村高校に留学)、野岳湖の歓迎遠足時撮影されたもの。大村高校1000日1000枚より引用
デールさんが掲載された大村市政だより 昭和五十年(1975年8月1日号)
荒木先輩の講演(TKC創業50周年記念講演より)平成28年/2016年 10月20日
荒木先輩は、勉強だけではなく、小学校・中学校の時、運動会ではリレーの選手で、体力もあった先輩と言われています。
荒木先輩のエピソードなどはこちらをご覧下さい。
昭和45年/西暦1970年 大村小学校秋の大運動会
荒木三郎先輩が大村小6年
貞松(さだまつ)先輩が大村小2年
撮影:当時大村小4年の先輩 、リコーのフィルムカメラで撮影されたもの
貞松先輩とは、東証ジャスダックに上場しているフェスタリアホールディングスを創業した貞松 隆弥(さだまつたかや)先輩のことです。
株式会社フェスタリアホールディングス 社長 貞松隆弥(さだまつたかや)先輩
貞松先輩が登場
*経歴(大村高校32回卒)
大村市立大村小学校→大村市立玖島中学校→長崎県立大村高校普通科(文系)→成城大学経済学部卒
家業の貞松時計店を、企業に発展させて、東京証券取引所ジャスダック市場に上場させた。
*フェスタリア、本日の株価
補足事項
高校は勉強だけするところではなく、先輩の影響も重要なのです。
先輩がここまで行けるなら、後輩もがんばればあそこまで行ける、という道しるべ(マイルストーン)として、大きな影響を受けるからです。
したがって、今後も大きく活躍されている先輩は、紹介していきたいと思います。
その他の参考
荒木先輩が大村小学校5年生の時、貞松先輩が大村小学校1年生です。
当時、大村小学校では、小学1年には5年生、小学2年には6年生が毎日の掃除を手伝うような仕組みになっていたようですから、荒木先輩と貞松先輩は、小学校時代に顔をあわせていたのではないかと思います(当時の大村小学校は1学年4クラス)。
たまたま、大村高校1000日1000枚という写真集があり、その写真を撮影された先輩の経歴も大村市立大村小学校→大村市立玖島中学校→長崎県立大村高校普通科で同じ、しかも30回卒。
つまり、三菱東京UFJ銀行の荒木先輩が高3時、株式会社貞松の貞松先輩が高1時、大村高校1000日1000枚の写真とかぶっていて、貴重な資料になっています。
高校時代のみならず、中学時代の写真も公開されているので、荒木先輩の中学・高校時代、貞松先輩の中学・高校時代の雰囲気が、大村高校1000日1000枚で感じられるものとなっています。