日本史をきちんと勉強しなかった人は、一度みておいたほうがいいでしょう。また、事実を知ることが重要です。
9分でわかる日本史動画
動画と反響(ツイッター)
.@kota2seijin @IconicVideosBiz はい。これは日本人には絶対に作れない動画だと思いました。日本史に対する膨大な知識に加えて、作者の音楽性、見せ方の工夫、まとめ方のスマートさ。どれを取っても舌を巻くばかり。ほかの視点ってやっぱり大事ですね。
— 遠子先輩 (@murrhauser) 2016, 2月 4
長崎県が流布しているウソの歴史
長崎県による世界遺産登録のHPには、大村のことについて影響力がなかったかのようウソが書かれています。そのせいかどうかはわかりませんが、長崎の教会群、世界遺産登録の推薦が見送られました。
長崎県内で、長崎県と長崎市が流布している「なんでも長崎市が一番」だというウソの歴史、ほかの地域の人には通用しないと思います。
また、大村がなければ長崎市が誕生していなかった事実、長崎県と長崎市は、都合が悪い事実として、消して流布しています。
長崎弁なんてありません。最初に長崎を大村が統治したから、大村弁が長崎に伝わったようです。実例として、佐賀が統治した諫早、佐賀弁になっていることから明白ではないでしょうか。
調べればしらべるほど、大村の影響力を消し、ウソの歴史を流布していることがわかる長崎県と長崎市、問題があると思いました。
江戸時代以前の歴史がない長崎、大化の改新から続く大村
さて、大化の改新は英語でTaika Reforms (タイカ リフォームズ)。
調べてみると、大化の改新以前から、大村が存在しているのです。長い間、長崎や佐世保はジャングルで人が住めない土地でした。長崎県の教育者によって長崎県内で教えられている「なんでも長崎が一番だ」というウソの歴史にだまされないようにしましょう。
千々石ミゲルの墓が大村高校・元日本史教諭によって発見された時、諫早と長崎の歴史家が、「大村はひどい殿様だから墓がみつからなかったのだ」という感じで、こきおろしている記述がある文書を読みました。それらの方々は、千々石ミゲルは大村純忠の甥(おい)だという事実を隠して、大村を攻撃していたように見えました。
長崎市の歴史家たちが出す歴史にだまされないように
会社の社員と同様、家来を統率していくためには、親戚に対して甘やかさないという姿勢を打ち出すほうが重要です。だから、大村純忠は千々石ミゲルにきびしくあたったのだと思えます。実は、長崎も諫早も滅んでいるのに、大村が続いてきた理由は、こういう面にあるのだと思います。
結論:長崎市や諫早市が出す歴史にだまされるな。
長崎県が誕生して以来この133年間、長崎市の変な常識を県内全体に押しつけてきた長崎県の姿勢、間違いがあったように思います。そして今も変わっていない部分があるように感じます。