大村にはない大村藩の記録が、愛知県二川(ふたがわ。現、豊橋市)に

愛知県豊橋市二川(ふたがわ)にあった、江戸時代、参勤交代で宿泊した大村藩の記録。

さすが、愛知県(尾張、三河)というべきか。古いものを大切にする県民性がきっちりしていて、江戸時代の二川の宿場の本陣、記録がすべて残っていました。二川宿の本陣に、大村から出発した大村藩の記録も残っていて、平成時代に本として出版されていました(購入してきました)。

長崎県がなかった江戸時代、参勤交代で1年ごとに、東海道を通過するときに、二川に宿泊したのは、大村藩、島原藩、平戸藩、対馬藩でした。

そして、↑宿泊した回数も記録してありました。大村藩は江戸時代、12回宿泊しています。

細かい記録は、本になっていて、大村藩の家老が、何か問題があり、一度、愛知の二川から大村にひき返したりしています。

長崎市の人が視野が狭いのは、江戸時代、藩がなく、町人の町・長崎から出たことがないからなのでしょう。その長崎市に長崎県庁があるから、長崎県は視野が狭くなっているのでしょうか。

さて、愛知県のきっちりした県民性は、名古屋城でわかります。名古屋城、第二次大戦で、アメリカ軍の空爆で全焼しましたが、復元できるのです。

なぜなら、尾張藩の方々が、江戸時代、細かい寸法をすべて図面に記録として残していて、復元できるようにしていたからです(先人の意図)。


この復元に反対しているのが、障害者利権の左翼の方々です。

江戸時代の名古屋城の復元に反対し、エレベーターを設置しろと、まともな話し合いに応じないで、図面通りの復元に反対されています。先人の意図をくみ取らず、伝統文化を破壊していくのが左翼です。気をつけましょう。

名古屋城の復元をじゃまする障害者という名のクレーマー

大村にはない大村藩の記録が、愛知県に残っていたのでお伝えいたしました。

詳しい資料や、江戸時代の記録の本は、二川資料館にあります。本は、購入できましたので、興味がある方は問い合わせてみてください。分冊になっています。

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