大村市郡(こおり)小学校の校長だった千葉さんが発見し、牧野富太郎博士が命名したヒゼンマユミ(学名:Euonymus chibae Makino)

⇧長崎県百花台公園HPより

ヒゼンマユミの学名は、Euonymus chibae Makino:ユーオニマス チバエ マキノ。つまり、ユーオニマス(ニシキギ科の植物)で、千葉さんが発見し、牧野さんが命名したというふうになっています。諫早市の木になっていますが、発見したのは大村の千葉さんで、命名したのは牧野富太郎博士でした。

ヒゼンマユミを発見したのが、当時、大村の旧制・郡(こおり)高等小学校(郡中学ができるまえにあった学校)校長だった千葉氏。明治38年[1905]1月(日露戦争中)に、諫早市の城山で発見されました。新種として牧野富太郎博士が命名し、学名が登録されました。

野口山荘随筆より

野口山荘随筆目次より

東京小石川植物園にも大村の千葉さんの名前が書かれています。

ヒゼンマユミに関しての論文と翻訳
論文(英語):大村の千葉さんのことが書かれています

前半

大村の千葉さんのこと

・上記論文の翻訳(グーグルクロームによる自動翻訳):大村の千葉さんの部分

最初は1906年(明治39年日露戦争の翌年)に大村の千葉さんが発見し、牧野富太郎博士に標本を送り鑑定してもらい、学名登録。そして、1908年(明治41年)に同じ場所で、大村の千葉さんと長崎の田代さんが標本を再収集したと書かれています。

明治40年(1907年)大村高校の前身・旧制大村中学校と東彼杵郡(当時は、大村市ではなく東彼杵郡大村町)教育会が牧野富太郎博士を招聘(しょうへい)し、大村で植物採集の講義と実習がおこなわれました。植物採集の講義と実習会には旧制大村中学の生徒・教職員、そして興味がある一般の方々も参加しました。:野口山荘随筆より

諫早市のHPによれば、諫早市の市指定天然記念物になっています。

ところで、野口山荘随筆(のぐちさんそうずいひつ)とは、大村高校同窓会本部が出版した本ですが、同窓会本部でも、東京同窓会でも、誰も読んでいない本のようです。歴史があるのに、歴史に無関心な同窓会のようですので、当方がデジタル化しました(つまり全文の検索ができるということ、キーワード検索もできます)。そして全文に目を通しましたので、時々、話題を提供させていただきます。

野口山荘随筆と牧野富太郎博士

【在校生向け】牧野富太郎(植物学者)博士と大村高校、そしてハレー彗星

電子化しました(野口山荘随筆)

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野口山荘随筆に登場する大村とノーベル賞関係者

大村高校と湯川秀樹(日本人として初のノーベル賞受賞)

野口山荘随筆に関して

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