この令和5(西暦2023)年4月3日より、NHKで、牧野富太郎(まきのとみたろう)博士を描いた「らんまん」という連続ドラマが始まります。
明治17(1884)年の大村高校(旧制大村中学)創立時より、戦後までのことを記した公式の書物に、何と巻頭から牧野富太郎博士のことが記されています。大村に牧野富太郎博士が来訪されたときのことが、いきいきと書き残されています。
*巻頭から、51ページまで、植物関係のことで、牧野富太郎博士の大村来訪と、大村での植物採集に関して書き残されています。
**当時は大村市ではなく、東彼杵郡大村町:明治40年=1907年、日露戦争の2年後
牧野博士と共に、多良岳のほか、玖島城、現在の大村高校周辺で、旧制大村中学生と教職員が植物採集したことも書かれています。
他にトピックとしては、ハレー彗星(75年周期、1910年)が肉眼で見えるころ、牧野博士が大村にいらっしゃったと書かれています。
*ハレー彗星(1910年→1986年→次回は2061年)
1910年米ハーバード大学天文台による写真
さて、大村高校や同窓会本部ではすっかりこの書物(野口山荘随筆)は忘れられていて、おそらく最近は、公式の書物に誰も目を通していないと考えられます。したがって、言及する人はいないと考えられるので、当サイトで書かせていただきます。
先日、高知出張の合間に、高知市の牧野富太郎博士の牧野植物園を訪問し、理解を深めたので、大村高校と牧野博士のつながりを書きます。
続く
以下参考:巻頭より牧野富太郎博士のことが記された大村高校同窓会公式出版物
金滝先生の著書 野口山荘随筆(のぐちさんそうずいひつ)より
実は、野口山荘随筆という本は、金滝先生の死後、先生の遺言により出版されました。金滝先生は、生前、チラシの裏紙に膨大な原稿を残していました。
金滝先生が残したチラシの裏紙を(ここからが、さすが大村高校と言える)、なんと、
- 大村高校同窓会が同窓生に発案し、
- 金滝先生の教え子たちが、金滝先生が生前に残したチラシの裏紙の文書を、手書きで、すべて原稿用紙に書き写し、
- 同窓会で資金を集め、
- 金滝先生に習った日本経団連の今里広記(いまざとひろき)理事が題字を書き、
- 福田清人先輩が本の前書きと経緯を書き、
出版されたものなのです。したがって、この事実により、当時は、検定合格の先生がいかに尊敬されていたか、わかります。