*伊勢神宮の位置
江戸時代、大村からお伊勢参りに行った人たちがいます。殿様の許可があれば、大村藩の領域からは、自由な旅にでることができました。ところが、徳川領(天領)の長崎の住民、佐賀の植民地だった諫早の住民は、旅行ができませんでした。
*伊勢神宮 内宮(ないぐう)です。内宮と外宮(げぐう)があります。
指導する立場になる人、学問や研究をする立場になる人は、自由な発想が必要なのです。大村から、明治時代から現在にいたるまで、長崎や諫早と違い、学者や企業のトップが出るのは、風土として発想の自由があるから、小学生・中学生・高校生時代に良い影響を受けるからなのでは?という気がします。
佐賀の植民地としてガリガリやられた諫早市、徳川領として上から言われることだけ忠実にすればいいという発想の長崎市と長崎県。
*内宮 全体像
大村は、戦国時代から、自分たちの意志で自由を勝ち取ってきました。そのことは、長崎県の教育ではわざと教えないので、長崎県教育委員会を信用しないで、自分たちで調べて、ほんとうの歴史を知ることが重要なのだと思います。
*内宮に続く商店街 おかげ横丁(よこちょう)
おかげ横丁は日本で四番目の、にぎわう町なのです。
東京の渋谷、新宿の通りより賑(にぎ)わう? 伊勢神宮のおかげ横丁。
江戸時代もにぎわっていて、大村から伊勢神宮に参拝に行った人たち、人の多さに驚いたのだと思います。
大村の良さは、戦国時代から続く自由と独立の気風。
明治時代になり、長崎県がウソの歴史の押しつけといやがらせで、大村をダメにしているので、長崎県の教育を信用しないで、長崎県を利用してやるくらいの気分が必要です。大村は戦国時代から、自らの意志で自由を勝ち取ってきたのです。長崎市や諫早市とはまったく発想がことなる環境なのですから。
自由と独立は、断じて、与えられるものではない。 自由と独立は、絶えず守らねばならない権利であり、ことばや抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器を持って要求して、初めて得られるものである。(民間防衛 スイス政府編 P13)