日本史の先生も国語の先生も、なぜか、古事記と日本書紀の明確な違いは教えてくれません。なぜなら、先生方は、2冊とも、おそらく、お読みになっていないからです。教師用の指導要領に書かれてあることをそのまま伝えているだけの役目だから。
わかりやすく一言でいえば、
1.古事記は、*日本文で書かれ国内向け。
2.日本書紀は漢文で書かれ海外向け(当時の海外は唐)という違いです。
*そのころ平仮名と片仮名がなかったので、漢字の音だけをあてた万葉仮名。たとえば「大村(おおむら)」は「於保無良」といったふうに。
従って、時間がない方は、口語訳の古事記を読み、理解し、身につけておけば良いかと思います。
ほか、古事記と日本書紀の細かい違いは、さまざまな解説書に書かれていますし、以下の動画でわかりやすく解説されていますので、お時間がある方はご覧ください。
動画による解説
さて、戦後、この70年間、日本を否定する教育ばかりされてきましたが、歴史がかわり、今後は、日本のことを知らなければ日本人としても、社会人としても失格となる時代がやってきています。これからの時代に、古事記・日本書紀の知識が必要です。未来に活躍したいと思う高校生・大学生は、身につけておいたほうが良いでしょう。
実は、神話から現在までつながっている国は世界で日本だけなのです。しかも神話の時代から続く奈良の大和地方がそのまま残っています。比べると、欧州にはギリシア神話がありますが、現在のギリシアはギリシア文字のギリシア語をつかっていることを除き、古代のギリシア人とは民族的にはつながっていません。ただ、古代の遺跡は残っています。
その当時、つまり古代から大村市や東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)のエリアは、古事記や日本書紀の時代から、人の営みがあり、存在しているのです。大村の歴史は日本の古代につながっています。玖島の地名は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父である景行天皇が名付けたものだと言われています。
しかしながら、長崎市は、古代から800年後の大村が開港する1570年まで人が住まないジャングルだった未開の地でした。だから、長崎市の歴史家たちが監修した歴史書は、江戸時代だけで「江戸時代の長崎すごい」という話ばかり。長崎市には江戸時代以前の歴史がないことと、大村純忠が長崎を開港したことを教えないのが長崎市の歴史家たちの特徴。
実際、長崎市は古代の日本の歴史につながっていませんが、大村は、大村市立郡(こおり)中学校付近に現在も条里制の跡が残っていることでわかるとおり、古代から、大和朝廷の時代から、日本の歴史につながっています。
大村市観光ナビより。大村市に残る古代の条里制です。
それゆえ、古代の大村のことが話題に出ると、長崎市が未開の地でジャングルだったことを知られたら困るから、長崎県では教えない方針のようです。でも、もう長崎県や長崎市の歴史家たちの不作為(知っているのに知られたら困るからわざと教えない)にだまされないように。