有明海の海苔(のり)産業を救ったのは、一人の英国人女性でした

日本語訳:無報酬(むほうしゅう)の英国人研究者が日本の海藻産業をどのように救ったのか

有明海沿岸4県の海苔(のり)養殖業者の方々は、おそらく「諫早湾干拓で海苔が不作になった」と怒り、反対運動をされていることと思います。

*出典:長崎新聞サイトより

では、諫早湾干拓前は、ずっと海苔は豊作だったのでしょうか?事実はそうではありませんでした。

海苔の生態を解明したのは英国マンチェスター大学で植物学の講師(藻の研究)をしていたキャサリン・ドリュー=ベーカーという女性でした。

写真出典

マンチェスター大学の場所

*日本の海苔(のり)漁民を救った英国人女性科学者より

終戦間もなく国交も回復してない1949年、英国に住むにキャサリン・メアリー・ドりュー・ベイカーー女史(以後女史ドりューと呼称)と名乗る女性藻類科学者から戦前に親交のあった九州大学の瀬川宗吉教授宛へ書簡が届いた。瀬川博士は内容に驚きつつ熊本県水産試験場の研究員太田扶桑男氏に書簡を披露した。

書簡の内容は・・・海苔の胞子は春先から秋口まで貝殻の中に潜り込み、黒い糸のような状態(糸状体)で生長し、秋口に貝から飛び出し海中を浮遊することが発見された。この発見によって初めて海苔の一生が明らかになった・・・・その結果、現在のような 海苔の胞子を人工的に育てて養殖する方法・・・

太田氏はその時の衝撃を受けとめ不眠の努力で海苔の養殖実験にとりかかる。
干潟の実態に詳しく、従来の学説に違和感を覚えていた太田氏は、
直観的にドりュー説の正しさを認識していたのである。

それまで海苔の胞子は海の中に浮遊し、海岸の岩場に付着して夏を過ごし、
秋口に果胞子を出すと思われていた。
そこで竹ひびや海苔網を海の中に建て込み、それに自然に海苔芽が付着して
成長するのを待ち、手摘みをするのが一般的であった。(経験則による養殖?)

海苔の胞子が貝殻に潜って夏を過ごすことを発見したのが、イギリスの海藻学者である
ドゥルー女史である。
彼女は人工養殖の生みの親で、今日の日本の海苔養殖発展の大きな貢献者である。

キャサリン・ドリュー=ベーカーさんが海苔の生態を解明できていなければ、海苔の養殖産業は壊滅していたものと考えられます。また、現在、スーパーに行けばいつでも海苔を購入でき、おにぎりに使えるのは、彼女のおかげなのです。

キャサリン・ドリュー=ベーカーさんの顕彰碑を建てたのは、国や学会ではなく全国の海苔漁民。小額の寄付を重ね、熊本県宇土市住吉神社に、1963年(昭和38年)に石碑を完成。

出典:海苔ジャーナルより

英語による解説を読むと、当時のマンチェスター大学は、結婚した女性を雇わなかったので、ヘンリー・ライト=ベーカー(旦那様、教授)さんの仲間として無報酬で研究を続けたのが日本の海苔だったと書かれています。

全文引用

 The tasty Japanese seaweed nori is ubiquitous today, but that wasn’t always true. Nori was once called “lucky grass” because every year’s harvest was entirely dependent on luck. Then, during World War II, luck ran out. No nori would grow off the coast of Japan, and farmers were distraught. But a major scientific discovery on the other side of the planet revealed something unexpected about the humble plant and turned an unpredictable crop into a steady and plentiful food source.

Nori is most familiar to us when it’s wrapped around sushi. It looks less familiar when floating in the sea, but for centuries, farmers in Japan, China, and Korea knew it by sight. Every year, they would plant bamboo poles strung with nets in the coastal seabed and wait for nori to build up on them.

At first it would look like thin filaments. Then, with luck, it grew into healthy, harvestable plants with long, green leaves. The farmers never saw seeds or seedlings, so no one could cultivate it. The filaments simply appeared every year. That is, they appeared until after World War II, when pollution, industrialization along the coast, and a series of violent typhoons led to a disastrous drop in harvests. By 1951, nori production in Japan had been all but wiped out.

Nori’s secret identity

Fortunately, on an island at the other end of Eurasia, Kathleen Drew-Baker had recently gotten fired. She had been a lecturer in botany at the University of Manchester where she studied algae that reproduced using spores rather than flowers. But the university did not employ married women. So when she got married to fellow academic Henry Wright-Baker she was kicked off the faculty and relegated to a job as an unpaid research fellow.

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