【在校生向け】なぜ大村がキリスト教のあと日蓮宗になったのか?名古屋でわかったので報告します

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*名古屋市 地下鉄中村公園駅前

最初は天台宗・真言宗だった大村領。当時の大村領は、長崎村(現在の長崎市)を含んでいます。

出典:大村市立史料館
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その後、大村純忠公が、日本ではじめてのキリスト教(カトリック)大名になりました。大村領が日本の他の地域と違うのは、領内すべてがキリスト教になったことです。

この当時、長崎村(現在の長崎市)は大村領です。長崎村の長崎甚左衛門(ながさきじんざえもん)は、大村の家来で、後に、大村から領地を没収されます。

長崎甚左衛門(ながさきじんざえもん)は領地がゼロになり、武士としては非常にみじめな人生となります。この歴史的事実を長崎県や長崎市の歴史家たちは隠して、なんでも長崎が一番のようなウソの歴史を押しつけてきますから、だまされないようにしましょう。

*司馬遼太郎「街道を行く」より
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さて、名古屋市に秀吉清正記念館というのがあります。JR名古屋駅から地下鉄で10分程度、徒歩数分の場所です。その場所で重要なことは、秀吉清正記念館のまわりに、何と、加藤清正の生まれた場所(確定)、豊臣秀吉が生まれた場所(諸説あるうちの3つ)が(今も)あることです。

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豊臣秀吉がキリスト教を禁止した後、大村は加藤清正のアドバイスで大村領内は日蓮宗となりました。なぜ、加藤清正が日蓮宗をすすめたのかは、大村史を調べても、大村史談会のバックナンバーを調べても、真相はわかりませんでした。

しかし、今回、名古屋市の秀吉清正記念館、および豊臣秀吉の生まれた場所、加藤清正の生まれた場所に行って、なぜ大村が日蓮宗になったのか、わかりましたので報告申し上げます。

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先日、名古屋市で「やっとかめ」というものを知りました。その中に、地元で生まれ育った町の歴史家の方のミニツアーで、名古屋から出た豊臣秀吉と加藤清正関連のものがありましたので、申し込んで参加してみました。

新幹線名古屋駅から地下鉄東山線で中村公園駅下車(10分以内)。町の歴史家の方がガイドをしてめぐるミニツアー、9時半集合、12時解散でした。

【在校生向け】「やっとかめ」って何ですか? (動画あり)

当時、尾張地方(愛知県)では、日蓮宗がひろまっていて、加藤清正公の母親が熱心な日蓮宗の信徒で、加藤清正公自身も、日蓮宗だったから、加藤清正公は大村に日蓮宗をすすめたのでしょう。加藤清正公が生まれた場所は、現在、日蓮宗のお寺になっています。

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もし加藤清正公の母親が、曹洞宗・信徒だったら、現在、大村・本経寺は曹洞宗のお寺になっていたと思われます。

*清正公と南無妙法蓮華経の旗がありました。
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それから、秀吉・清正記念館で大村喜前(よしあき)公の名前を発見。

一つは、パンフレットに掲載されている慶長の役(1597年)陣立(じんだて)書という書面。朝鮮出兵のさいに、大村からは千名が出兵(上段左から二番目)。いとこの島原の有馬は二千名(上段左から三番目)。さすがは小西行長公、七千名も。

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*参考:島原の有馬と大村

画像:「天正遣欧少年使節のたび」様より
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もう一つは、大村喜前(よしあき)公の直筆のサイン(花押:かおう)と血判で署名された書状がありました(原本は大阪にあり、名古屋に展示してあるものは複製)。

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なお、長崎市出身者や諫早出身者の名前は、さまざまな場所でさがしても、いつも長崎県内でしかみつかりません。

しかし、大村関係者は、名前が北海道・札幌、秋田、新潟、仙台、東京、静岡、名古屋、そして大阪でみつかります。各地で活躍しているからです。そのあたりが、長崎市出身者や諫早出身者とはまったくちがいます。

それから、長崎県と長崎県教育委員会、長崎県の息がかかった長崎の新聞やTVが、大村のことを無視して、なんでも長崎が一番だと教える変な教育にだまされないようにしましょう。

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