長崎にはない「江戸時代のカステラ」が食べられる場所(九州内ではありません)

カステラの製法

大村や長崎以外の地方で、いつ、どういう場合にカステラを食べるのか?

首都圏の親戚の場合、法事や葬式の場合だけのようで、普段はカステラを食べません。

さて、長崎のカステラは、江戸時代のままの製法ではありません。

福砂屋の製法

文明堂の製法

松翁軒の製法

江戸時代のままのカステラは美濃に残っていました

江戸時代のままのレシピで、カステラが製造されている場所があります。

コロナの前ですが、名古屋出張の後、時間を作って、行って食べてきました。多めに買って、自宅分だけではなく、カステラの味にうるさい大村の友人宅や、大村の実家にも送りました。

場所は岐阜県恵那(えな)市 岩村

お店は3軒、名前は「岩村カステラ」

店は3軒だけ残っています。カフェがあるのが、この「かめや」さんだけでしたので、「かめや」さんでお茶して、江戸時代のままの製法のカステラを食べてきました。

現在は、東京からも名古屋からも、かなり時間がかかります。地図と鉄道路線図で示します。

拡大する↓

具体的には、名古屋からJR東海・中央線で、恵那(えな)駅で、明知鉄道に乗り換え。岩村駅下車。東京からの場合、新幹線で名古屋まで行き、そこからJR東海の中央線になります。

現在、名古屋から恵那の2つ先の中津川まで快速で75分なのですが、リニアが完成すれば15分になります。

なぜ、江戸時代のままの製法が残ったのか?

お店での飲食と、買い物ついでに話も聞いてきました。

江戸時代、岐阜県(美濃国)の岩村藩の医師が、国内留学で長崎に滞在しました。留学中に、カステラの製法を学び、持ち帰りました。当時のカステラは、栄養が豊富な食糧で、病気の回復に役立つと考えられたのでしょう。コーヒーやチョコレートが薬として用いられたり、栄養食だと考えられていたのと同じような理由だと考えられます。

現在も、国産の小麦粉を用いて、和三盆(わさんぼん)と三温糖(さんおんとう)という高品質で高級な国産の砂糖を用いて、製造されています。長崎のように大量製造されていません。手作りです。

「岩村」という場所は知られていませんが、第二次大戦のアメリカ軍による爆撃を受けていないので、ほぼ、江戸時代のままの街並みが残っています。肥前・大村藩は外様でしたが、美濃・岩村藩は譜代(ふだい)でした。この時代、城主が女性(女城主おつやの方)で、当時の城跡が残っています。

山間部なので、よい水が湧くので、「女城主」という日本酒があります。

名古屋の駅前で「ひつまぶし」(「ひまつぶし」ではなく)を食べる

今回、名古屋で、映画「誕生 赤い彗星(Rise of the Red Comet)」を観てきました

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