福岡市で元寇の防塁を見て、再発見したこと

福岡出張。時間を作って、元寇の防塁を見てきました。

今回は姪浜(めいのはま)の防塁ではなく、西南学院大学内で見つかった防塁です。

福岡市営地下鉄で、西新(にしじん)から徒歩で、西南学院大学へ。パンフレットもいただいてきました。

再発見したこと3つ。
1.元寇の防塁は、現在の福岡市全域を覆う総延長20キロを超える長距離の防塁だったこと。現在の地名で、東は香椎(かしい)地区から、西は今津地区までの、ほぼ福岡市全域。

西南学院大学作成パンフレットより

2.第二回のモンゴル+朝鮮連合軍による日本侵略の情報が鎌倉幕府にもたらされていた。そこで、防塁を現在の福岡市全域に当たる海岸線に急造。短期間に築城したものだが、頑丈につくられた(だから現在まで残っている)。また、防塁は、モンゴル馬が簡単に越えられない高さと幅を想定して設計してあったこと。

3.ゆえに、モンゴル軍を撃退したのは、気象状況(神風)だけではなく、私たち日本人の土木技術、そして勇ましい鎌倉武士団による軍事力もあったことがわかりました。

日本はモンゴルを撃退したことによって、モンゴル人のレイプを避けることができました。大陸のロシア、中華、朝鮮は、モンゴル人のDNAを注入されてしまいました。

モンゴル人によって、多数の朝鮮女性がレイプされました。朝鮮民族(韓国、朝鮮)はモンゴル人のDNAを受け継いでしまい、人種改良されてしまいました。

モンゴルから侵略される前の朝鮮民族は、侵略後の朝鮮民族とは別の民族になってしまいました。モンゴル男から朝鮮女性がレイプされまくり、モンゴル人の遺伝子を注入されてしまったからです。

朝鮮人は、日本人とは違う遺伝子を持つ異民族なのです。

動画:2分20秒から

【在校生向け】なぜ日本に3度目のモンゴル侵略(元寇)がなかったのか?そして和弓とアーチェリーの違い

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