【在校生向け】文科系は東京の大学を目指そう

かつて、司法試験の合格人数トップはいつも中央大学で、二位が東京大学でした。中央大学は都心(東京中心部)のお茶の水から、田舎の八王子市に移転してダメになってしまいました。

早稲田・慶応が落ち始め、明治が俄然(がぜん)輝き始めた理由も同じような理由でしょう。明治大学は、大学を都心のお茶の水に集中させています。早稲田は、田舎の所沢に校舎を分散させ、慶応は藤沢に分散させてしまいましたから。

明治大学

文科系の大学は、山手線沿線か都心の大学でしょう。地方から上京し、学生として、大学時代に受ける都市文化の影響、就職活動時に情報戦で優位なことから、文科系は、やっぱり九州より、東京近郊の大学です。

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日本経済新聞のトップとなった、大村高校8回卒の杉田先輩は、やはり、九州大学や田舎の大学ではなく、横浜国立大学卒という事実があります。

大村高校で講演 杉田亮毅(すぎた りょうき)先輩 経歴:大村高校8回卒→横浜国立大学経済学部卒→日本経済新聞社入社 →社長→会長

大村高校で講演 杉田亮毅(すぎた りょうき)先輩
経歴:大村高校8回卒→横浜国立大学経済学部卒→日本経済新聞社入社
→社長→会長

上を目指したい、あるいは、大学を出て、大村の時よりいい生活をしたい、親よりよい生活をしたいなら、やっぱり文科系は多少は無理しても、東京の大学を目指し、高校時代に勉強し情報収集したほうがいいでしょうね。大村の先輩の方々は、そうやって成功してきました。

田崎真珠の田崎先輩は、なぜ長崎大学しか進学できなかったのか?それは、田崎先輩は、旧制大村中学を卒業した後、海軍兵学校(今の防衛大学校)に進学。在学中に戦争が終わりました。戦争に負け、帝国海軍が消滅しました。つまり、海軍兵学校卒業生の就職先である海軍がなくなったのです。

戦争の後、田崎先輩は東京大学に進学を希望しましたが、海軍出身者はアメリカ軍の占領政策で、東大受験ができませんでした。海軍出身者は、九州内では長崎大学か大分大学にしか受験できないようにされたからなのです。田崎先輩も本当は、東京に出たかったのです。ただ、国体の長崎県代表ボート選手として東京近郊の戸田ボート場で漕いだことで、東京に出たかった屈辱が少し晴れたそうです。参考:田崎俊作先輩の著作 「ゴーイングマイウェイ」 2003-06-30出版

平成15年/2003 6月出版 田崎俊作先輩の伝記

平成15年/2003 6月出版
田崎俊作先輩の伝記

これから、九州大学や広島大学の文科系を目指す人は、注意したほうがいいでしょう。卒業した後、「あの大学の文科系を出た連中はなぁ」と言われるようになる可能性を秘めているのです。自分で満足できても、まわりがそうは評価してくれなくなることがあります。

実は、九州大学も、中央区六本松(文科系、教養部)から、辺鄙(へんぴ)な、刺激のない、閉じこめられたような、田舎の糸島の伊都に移転しました。中央大学と同じような間違いを犯しています。広島大学も、広島市から、すでに、田舎の東広島市に移ってしまいました。

確かに、理科系は、田舎のほうが研究に集中できるので、田舎でもいいと思われますが、文科系はそうではないのです。

クリスマス

なぜなら、文科系は、社会+文化(文科ではない)とのつながりが重要視されるからです。法学も、経済学も、商学も、本を読んで、講義を受けるだけでは社会で通用する人間になるトレーニングにならないのです。

また、文科系学部は、社会との大きな接点が必要で、まわりの環境から(つまりは都市)の刺激が必要で、コミュニケーション能力も、文化に対する感性も、スピード感も、大学が都市にあることで、感性が知らず知らずのうちに磨かれてゆくのです。

対照的に、山の中で、刺激が少なく、文化も、大企業が生み出す刺激と文化も、ファッションセンスも必要ないような場所に移転した大学(九州大学伊都キャンパス)では、在学中に、貴重な4年の間に、センスが磨かれないのです。東京の大学を出た人から見れば、時代から取り残された、ちょっとずれた人として扱われてしまうのです。「あの人、なんだかちょっとちがうよなぁ~、田舎の大学だったからかぁ」と。

東京には、最高裁判所も、東京証券取引所も、一部上場企業群の本社も、築地市場も、原宿も、あります。大きな社会があります。その中に大学があります。大学のまわりには大きな社会があります。

ところが、九州大学や広島大学は社会から切り離されたような場所に移転したのです。文科系は、東京の大学のほうが、大きな刺激を、知らず知らずのうちに受けることができ、人間的に成長できる場所、つまり東京の大学のほうが良いことが、少しだけ伝わったのではないかと思います。

アメリカの田舎町で撮影

アメリカの田舎町で撮影

社会に出たら、文科系の卒業生ならば、多数の人は、東京の大学を出た人たちと競争することになることが多いのです。

現実をいえば、社会人一年生としてのスタートラインで、すでに、差がついているんですよ。四年間で、都市で受ける知的な刺激。何もなく、都市から隔離されたような九州大学 (文科系)と広島大学(文科系)を卒業した人たちと、東京で四年間を過ごした人。偏差値ではわからない、まわりの環境からの影響があるのです。

知的な刺激が重要な十代後半から二十代前半。どこで過ごすか、それによって、その後の人生が決まってゆくことがあります。田舎のダサイ感覚が、洗練された知的な東京では、不利な扱いになることもあります。

フランス橋

結論として、遅くとも受験する一年前くらいにまで、進みたい大学のキャンパスが、どんなところにあるかを見学し、比較検討しておいたほうが良いでしょう。飛行機で東京まで2時間。大阪まで1時間。大村からなら、福岡市より東京・大阪のほうが近い現実があります。

*成績によって、偏差値によって、受験する大学を決定することは間違っています。受験する大学をまず決定し、情報(大学の難易度、大学の立地条件、その大学からどんな人が出ているか)を収集し、それから、大学の難易度にあわせて、勉強量を決定して、目標を達成してゆくのが、人生の王道です。社会では、今の実力に合わせて目標を決定するのではなく(今の成績で受かる大学を受験するというのではなく)、
まず、達成したい目標をかかげ、

1 情報を収集し、目標にあわせて、作戦をたてる Plan
2 実行量を変え、行動を変える Do
3 行動を見直してゆく Chek

そうして、Plan→Do→Checkで、目標を達成してゆくことが求められます。

「できっこない」をやらなくっちゃ
大村の父親の葬式で、私が喪主になるならば、親戚が集まった時に、父への手向(たむけ)に、この曲を流そうと思うのです。親戚や葬儀社から文句を言われるかもしれませんが。

*英語では、予定も作戦(軍事作戦)も、Planで表現します。

**現在の学校の先生は、他の人が決めたことをやるだけの、社会主義のような世界にしがみついて生きている方が多いようで、これらのことは理解できていないので、話が通じないようです。戦前、旧制大村中学では、先に目標を決め、勉強量を増やす、Plan→Do→Checkのようなやり方で、効果をあげた校長先生がいらっしゃいます(こちらに書きました)。

***野球がうまくなって甲子園に出場したいと思っても、不可能。甲子園に出場するには、どういう力をつければよいか、目標を先に設定し、それに合わせて練習し、甲子園に初出場で準優勝させた監督と生徒の実話があります。映画KANO。日本語の台湾映画です。
*KANO:当時の台湾は日本です。


実話がもとになった映画:動画・映画KANOはこちらです。

成績を上げたい、もっと勉強したい、でも長崎県の先生はたいした人がいない。そう思うなら、全国で、知の平等を目指す会社(リクルート)が始めた受験サプリがあります。

一度きりの10代後半から20代の前半の人生。文科系は、偏差値だけで田舎の大学に進学を決める前に、後悔しないように、時間をつくって、情報を集め、自分の目と足で、納得がいくまで確認して、慎重に決断しよう!

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