2008年02月26日

●日本語高速入力(約2倍)のノウハウ


こちらの続きです。


Q2.安く、親指シフトを導入するには?
A.既存のキーボードにテプラでテープを貼る+親指ひゅんをダウンロードしてイ
ンスト-ルする。


図で示します。以下の2枚の写真をご覧ください。





親指シフターの文章は長い。なぜなら、短時間で高速入力できるからだ。どんなにトレーニングしても、ローマ字入力の2倍程度のスピードで入力できる親指シフトにはかなわない。時間の節約になり、思考の速度に近い感触で、入力できるのだ。ただし、IMEがATOKの場合です(変換効率が高いため)。MS-IMEはダメです。誤変換が多く、まるで、最近のゆとり教育で育った大学生並みなので。


問題があるとすれば、猜疑(さいぎ)心が強く、新しいことがすぐに頭に入らない、あなたにはやっぱり無理かな?


Posted by 管理人 at 01:50 | Category : 雑談

2008年02月22日

●あなたはまだ知らないの? 日本語を高速入力する方法

日本語を高速入力する方法を身につけよう

日本語の入力方法は、大半の人がローマ字入力だ。日本語なのにローマ字変換をしながら入力をしなければならない。たとえば、「か」を入力するのに、kとaを二回も打鍵(だけん)しなければならない。つまり、二倍の入力時間がかかっている。

かな入力方式も文字がキ-ボードの四段にわたって配列されていて、これまた、指を動かす回数が大きく、能率的ではない。

もっと効率が良い方法はないのだろうか?

実は、ある。



いままで、日陰のような扱いにされてきたが、知っている人は知っていて、きちんと使い続けられてはいた。経済的な競争が激しくなるなか、効率的に時間を活用するため、再び日があたりはじめたように思う。




日本語を高速に入力できる方式は、富士通の神田氏が開発した親指シフトとよばれる入力方式だ。人にもよるが、日本語の場合、ローマ字入力の最高二倍くらいの高速入力ができるのだ。つまり、時間を半分に節約できる。




そんな、おまえは、解説だけで、親指シフトなど使ってはいないのだろう?と、あなたは私に言うかもしれない。だが、あなたのそのような考えは、間違いだ。見方を変えたほうがいい。




私は、1986年、はじめて購入したワープロが、富士通の親指シフトのオアシスだ。パソコンが企業に普及していなかったころ(1995年くらいまで、各企業は、システム部や情報通信ネットワーク部を除き、紙と電卓を前にして仕事をしていた)、ワープロを購入して親指シフトも覚えた。




高速入力ができるのだが、非効率的なローマ字入力の方が先に普及してしまい、親指シフトは、富士通ファンや、親指シフトの実力を知っている特定のマニア(私など)や、日本語の高速入力が必要不可欠な作家、あるいはライターの方たちだけが使用するものとなっていた。ただ、だんだん状況は変化しつつある。






では、どうすれば、親指シフトの入力方式が可能なのか?



キー配列を変換するソフト(無料)を導入して、キーボードにテプラなどで、シールをはれば、親指シフト入力方式のキ-ボードができあがる。辞書は、ATOKなどがそのまま使える(現在、私はこの方法)。少し投資できる人は、親指シフトの変換ソフトとキーボードをアマゾンで購入すれば(以前、私はこの方法だった)、すぐにできる。参考写真はこちらです


会社ではローマ字入力。自宅では、親指シフトだ。親指シフトのおかげで、時間をムダにしないで、日本語を入力できるので、効率的にHPとブログを運営できている。




さて、参考になるサイトをリンクしておきますので、時間をムダにしない高速入力を身につけたい人はチャレンジしてください。


Q1.もっとも簡単に親指シフトを導入する(1万5000円の投資)には?
A.富士通の親指シフトキーボード+親指シフト変換ソフトを導入する。

Japanist 2003
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Q2.安く、親指シフトを導入するには?
A.既存のキーボードにテプラでテープを貼る+親指ひゅんをダウンロードしてイ
ンスト-ルする。こちらの写真をご覧ください



Q3.高速入力を身につけるには?
A.練習するのみ。打つべし!打つべし!打つべし!
しばらくすると、ローマ字入力の非効率さが身にしみてわかってきます。



参考サイト:


日本語入力コンソーシアム


その1 | その2 | その3 | その4

Posted by 管理人 at 06:34 | Category : 雑談

2008年02月09日

●なぜ文科系は東京の大学に進学するほうがいいのか



前任の教頭先生(30回卒1年次、1975年)は、あたらず・さわらずで何も言わない、見て見ぬふりタイプの森教頭(野母崎出身)だった。


朝、「おはようございます」と私が元気よくあいさつしても、いつも無視する人だった。翌年(1976年)長崎西高に転出された。


古門教頭は、30回卒が2年時の4月に、五島高校から大村高校に赴任された。


1furu.JPG

写真は、1976年の古門教頭先生。高校総体入場行進。長崎・松山



前任の森教頭が覇気(はき)のないタイプで、まるで毎日がお通夜のようにシーンとした人だったのに対して、古門教頭は、元気良く、ハキハキしゃっきりとした、まるで繁盛するお店で人をむかえるような人だった。

前任の教頭先生(野母崎出身)とは違い、新任の教頭先生は福岡出身だった(正確には小倉)。


ご存じのように、静かでおとなしい長崎の男とは違うタイプが、福岡では求められる。元気の良さや男ぶりの良さは長崎では求められない。古門教頭は福岡出身だったことが影響していたのだと思う。


私の母親は福岡出身だ。私は母親から商業都市である福岡市風に「挨拶は相手がする前に、自分から大声で元気よくしろ」と育てられた。だから、子供の時から、いまも、そうしている。


book title: Hakata (Fukuoka-city,Japan)

実は、高2の時に、こんなことがあった。誰もおぼえてはいまい。


それは、始業式の日だった。正確には高校2年(1976年)の9月1日だった。


始業式では、教頭が、学期初めの挨拶をする。普通のつまらない話のあと、「大村高校では、みんなあいさつをしない。あいさつは、ルールを守る第一歩なのだ」などという話になった。


そこまではいい。


「この中で1人だけ、毎朝、きちんと元気よくあいさつする人がいる。2年のXXくんだ。XXくんを見習って、元気よくあいさつするように」と、教頭が新学期の話をしめくくられた。


「XXくん」というのは、私の名前だった。名指しで、全校生徒の前で発表された。寝耳に水というか、青天の霹靂(せいてんのへきれき)というか、ひょうたんからコマといった感じだった。



教頭がほめてくれたのもいい。


2furu.jpg

写真は、1977年の古門教頭先生。高校総体入場行進。長崎・松山



しかし、当時の大村の方々は心が広くなかったし、嫉妬深かった(今は違うかもしれない)。狭い世界だ(これは今も同じだ)。なんであんな奴(あんな奴=つまり私のこと)が、全校生徒の前でほめられるんだ?と思われたのだろう。


それから数か月、クラスの全員が、私と口を聞かなかった。いまの子なら、いじめられたと落ち込むだろう。ただ、私はそうは考えなかった。


夏祭り kawasaki station


こんな町(大村市)、高校を卒業したらさっさと出ていくのだ、東京の大学へいくのだ、と、思っていた(そうなった)。


実は、大村高校から東京大学にすすんだ親戚(今は、工学博士で大学教授で、九州内の国立大学(法人)の学部長。ひとことで書けば、物理学者)の影響も大きかった。


大村の親類からは、文科系は田舎の国立大学ではダメだと言われていた。また、博多の親類からも、文科系で田舎の大学なら、小さな人間で終わってしまうぞ、九州や、地方の狭い世界で満足してはいけない。東京から見下ろしてこそ、本当の日本が、世界が見えてくるなどと、言われていた。(だから、10代後半から20代前半の重要な時期に、東京の大学に行かなければ、視野の狭い人間で終わってしまうぞ)、などと。


たしかに、山にのぼってみると、上から見下ろす世界と、下から見上げる世界では、見える景色が違う。上からのほうが、全体をはっきり見わたせるのだ。経験がある人も多いと思う。


筑波エキスプレス秋葉原駅/Akihabara Sta.Tsukuba Express line



社会人となり、採用の側にまわってみると、「なぜ東京の大学に入らないで田舎の大学に入って、わざわざ東京の企業に就職したがるのだろう?」ということや「社会のことをあまり知らない田舎教師からすすめられ、偏差値だけで、地方の大学に入るようにさせられているのだろうか?」という疑問もわく。


何かを求め、チャレンジ精神のある人は、みんな東京(東京や横浜出身の人はアメリカを)をめざしている。「自分の力で東京に出たんだ」という証(あかし)が、東京の大学に入ることなのだ(企業では、そう評価することもある)。


実際、10代後半から20代前半の重要な時期に、東京生活を体験したものとそうでなかったもののギャップは一生埋められない、と思う。


調べようとしないで(情報を分析しないで)、新しいことは何でも反対ばかりする教員たちのように、あなたがならないためにも(私の中学、高校時代に、そのような教員たちを見てきた経験より/もちろん、そうではない立派な先生もおられた)、情報のあふれる東京で、これからの時代に必要とされる、すばやく確実に、しかも大量の情報を、限られた時間で処理し、そして意思決定できる能力を身につけるためにも、東京に出なければ、東京の大学に入らねば、ならないのだ。


田舎ではそのような能力は身につかない。なぜなら、情報も刺激も乏しいからだ。


横浜にて Yokohama,Japan


また、小・中・高と、一見おとなしそうだが、きびしく、気が強く、文句ばかりいうタイプの女性が長崎県(大村)には多かったように感じられたので(今は違うかもしれない)、こんな町は早く出て行かなければとも思っていた。


クラスメイトから無視された私は、わずらわしいクラスメイトとのつきあいがなくなり、楽になった。Freeだ。私はクラブをやっていたので、クラスで会話がなくともクラブで会話があった。


高校時代は、そんなに楽しいものではなかったが、写真を見ると、楽しそうだ。そんなものかもしれないなぁ。


DSCF0100


ところで、この話には後日談がある。


高校3年(1977年)の9月1日に、教頭先生は、また、全校生徒の前で、同じ話をされた。また、私の名前が発表された。


今度は、クラスでは、誰も私を無視しなかった。というより、3年で、勉強が忙しく、みんなそれどころではなくなっていた。


いじめや無視は、ヒマだからするんだろうか?忙しければ、人を無視して遊ぶ余裕はなくなるのかもしれないなぁ。


そう思いながら、今日も、日経新聞と本をバッグにつめこみ、私は、朝の駅へと急ぐのだった。

Posted by 管理人 at 06:36 | Category : 高3時代

2008年01月28日

●同窓会サイトプロジェクトの企画案(マインドマップ)

同窓会サイトプロジェクトの企画案をマインドマップでお知らせします。


an2.JPG


案です。未定の部分や改良の余地もありますが、立ち止まってはいられません。連絡はメールにて。なお、マインドマップに関してはこちらをご参照ください

Posted by 管理人 at 06:29 | Category : コンセプト

2008年01月25日

●フロントページはここだ!



フロントページを作成しました。


or.jpg


作成ページ元はこちらです

Posted by 管理人 at 02:30 | Category : 雑談

2008年01月24日

●長崎東に留学していたアメリカ人と博多駅デイトス



長崎や大村の人は、知らない人となかなかうち解けないし、話もしない。


私は、知らない人でも、物怖(ものお)じしないで話すような性格なので、 大村に住んでいたころは、苦労した。大村育ちの人から見れば、私のような性格は、嫉妬の対象になるのかもしれない。

実は、英語を覚えても、閉鎖的な性格の人はちっともうまくはならない。テストの成績と性格+コミュニュケーション能力は少し違う。


関係ないことを書けば、1984年8月、大学時代、東京の新宿エリアで、迷っているアメリカ人女性を見かけた。だから、声をかけて、「そっちの方向はあぶないよ」と伝えた。


実はその人は、1983年9月から1984年7月まで、長崎東高校に留学していた人だった。ミネソタ州ミネアポリス市出身で、長崎東高のあと、マサチューセッツ州のカレッジに進学した。祖先は、ノルウェーからアメリカに渡ったのだそうだ。名前はナターシャ。


新宿で偶然、長崎東高に留学していた人と出会って話したあと、連絡先を聞かれたので、大学の学部の住所を教えた。最初は、なんと、彼女から、私の大学の学部にエアメールが届いた。


大学の事務局から呼び出しがあった。事務局で手紙を受け取った。それから、しばらく手紙をやりとりした。手紙には、(英語で)長崎での文句が少し書いてあった。やっぱり、長崎市の人も、大村の人と同じで、閉鎖的だったようだ(今はどうかは知らない)。


deitos.jpg


さて、写真は、博多駅デイトスの受付のお姉さん。少し話したあとで、「写真を撮っていいですか?」とたずねてOKの返事をもらったので、撮影した。1980年だったと思う。

予備校時代は福岡で過ごした。大村の同期の連中は、全員、九州英数学館だった。私は、水城学園だ。水城では、大村高校出身者は、理科系で気が強い女性と、私の2人だけだった。わたしは、大村の人と、つるまない。


このころは、まだ、代々木ゼミナールも河合塾も全国制覇していなかったので、福岡の予備校は、英数と水城が2大勢力だった。


実際、大村の同期の連中は、福岡の予備校に通っても、大村から抜け出すことができず、大村メンバーでつるんでいたようだ。天神や新天町で、彼らを何度もみかけた。


私は、大村より、福岡のほうが合っていた。すぐに、福岡市内の人と友だちになった。いまでも、福岡のメンバーとは会っている。


結論は、人には、それぞれふさわしい場所がある。わたしには、長崎県大村市はふさわしくなかった。そういうこと。

Posted by 管理人 at 23:40 | Category : 予備校時代

2008年01月21日

●片山先生のこと

思い出したので書いておく。

kata1.jpg


高校時代、数学の片山先生がこう言われた。
「大人になれば、大学入試程度の現代文の問題は、勉強しなくても、正解できる。ただし、新聞や本を読み続けることが前提だ」と。


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この日、先生は、高校時代には、スタンダールの「赤と黒」くらいは読んでおけとおっしゃった。


すぐに、当時、大村本町アーケードにあった文光堂という本屋で、文庫本を購入して、私は読んだ。


16kata.jpg


それから、20年以上の月日が流れた。


まだ、年数はあるし、少し早いのだが、子供の中学入試に向け、国語の入試問題にチャレンジ。





まず、私が、大学入試用の問題集を購入して、解いてみた。


出口の現代文レベル別問題集 上級編だ。難関私大・国公立用となっている。


「な~んだ」という感覚で、全問正解できた。いや、これは、何かの間違いかもしれないと思い、自分の奥さん(学習院大学法学部卒)にもチャレンジしてもらった。やはり、全問正解した。


高校時代と違って、すぐに答えがわかってしまう。しかも制限時間の半分もかからないで、すぐに正解がわかってしまうのだ。出題者の意図も見えてしまう、奥さんも同意見だ。


問題演習のあと思ったことは、もしかしたら、高校の国語の先生は、なまけものかもしれないと。あんまり努力しなくても、問題が解ける人が多いのではないかと感じられたため。


さて、結論は、高校時代に、数学の片山先生が言われたことは正しかったことが証明されたということ。


学校のレベルにもよるが、国語に関しては、大学入試の現代文より、私立中学の入試問題ほうが難しいように思えた。考えさせる問題が多かったので。

Posted by 管理人 at 23:25 | Category : 高1時代