東京でニセモノ大村寿司が幅をきかせてきた?

*写真は2004/11/29、首都圏コンビニ(ファミリーマート)で、期間限定として発売されていたものです。税込み298円。

九州の寿司や、唐揚げ、そのほか醤油は、関東の人にとっては甘すぎるため、口に合わないのです。実は、長崎の四海楼のちゃんぽんも甘すぎて、関東の人にはすこぶる評判が悪いんですよ。

大村寿司や大村の産品を、人口が多い首都圏に売り込むためには、(お菓子以外は)味を変えなければ、売れないので、味の違いを知ることが必要だと思います。また、売り方、つまり、オリジナルの九州出身者向けとは別に、首都圏向けなどと分け、販売方法を変えることも必要だと思います。

さて、大村と全然関係ないと思われる寿司屋が大村寿司と称して販売しているようなのですが、どうなんでしょう?

首都圏の九州フェアで長崎市+福岡市の寿司屋が「大村寿司」の名称で、大村寿司とは少し異なる、普通の押し寿司+チラシ寿司のようなものを販売しているようです。

福岡市の平野屋というのだけれど、首都圏の九州フェアで、平野屋の大村寿司販売員に聞いたら、大村のことを全然知らない人でした。大村に関連した寿司屋さんなのでしょうか?ニセモノみたいな大村寿司が広がる前に対策が必要だと思うのですが、いかかでしょう?

平野屋

販売員は、大村に一度も行ったことがないと話しましたし、平野屋のホームページには大村寿司の歴史が書いてありますが、「福岡から上京した」と話した販売員は大村寿司の歴史はぜんぜん知らなかったですよ。

ところで、大村寿司は、文明6年(1474年) 、長崎市がまだジャングルで、人が住んでいなかった時代に誕生しました。大村純忠が長崎港を開港するのが1570年で、当時は漁師の家が十数戸しかなかった時代です。長崎開港の約100年前に誕生しました。

また、大村寿司は、その誕生の歴史的背景が、ちゃんぽんやカステラとは違います。長崎のカステラはポルトガル人に教えられたもの。長崎ちゃんぽんは支那人(清国)が考案したもの。でも、大村寿司は、大村領のご先祖の皆様が、自主的に考案し、殿様の勝利をお祝いしたものです。
大村寿司の歴史:やまと寿司

だから、大村の歴史を尊重しない、よくわからない店である平野屋さんに、大村寿司を名乗ってほしくない気持ちがあります。

たとえば、太宰府の梅が枝餅。大村の梅が枝荘は、太宰府に修行に行ったので、大村でも梅が枝餅が堂々と販売できています。

大村・梅が枝荘 初代が太宰府に行って製法を学んだ

だから、大村寿司の類似品対策として、やまと寿司ぎおん、そして梅が枝荘で、大村寿司認定協会のようなものを設立し、ニセモノを閉め出していったほうがいいのでは、と思います。

そのまま放置していたら、そのうち、首都圏では、あんまりおいしくない福岡市と長崎市の平野屋という寿司屋に、大村の大村寿司が乗っ取られる展開が予想されます。

大村の特産品で、長崎市のカステラより約150年も古い大村の伝統資産だから、長崎市や福岡市の寿司屋に気楽に名乗ってほしくないですよね。

*大村寿司が1474年誕生で、カステラの老舗・福砂屋が1624年(寛永元年)創業だから、大村寿司が150年早いのです。

本物の大村寿司
やまと

梅が枝荘

ぎおん

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