第二次大戦末期、東京・早稲田中学(現、早稲田高校)から大村に転校してきた人の記録です。
当時、東京から大村への移動は、列車でした。東京から大村までの道中、各都市がどうなっていたか記録されています。通常の列車と違い、疎開列車は、東京から門司港まで3日かかったようです。米軍が、広島に原爆を投下する前のことも書かれています。
東京から大村(久原1丁目の東浦)にきたら、食べ物にも家にも困らなかったという記録が書かれています。東浦の漁業従事者が、戦争で、応召(おうしょう)で、戦地に出ていたため、漁師がいなくて、漁師でなくても魚が豊富にとれたようです。
この文章の作者(故人)は、戦争が終わったのちに、早稲田大学に進学しています。
