ウソと偏見(へんけん)を教えるのが長崎大学なのでしょうか。長崎大学薬学部って一般社会の知識に欠けた頭の悪い記述が堂々とかかれています。
長崎村は、大村純忠によって開港されました。長崎大学薬学部は、偏った知識しかなく、理系だから歴史の素養がなく、ある意味、しょうがない教授が書いたのかもしれないけれど、やはり奇妙なのです。
長崎大学
長崎大学が、大村の人のことをどう思っているのか、非常に良くわかる記述があるので引用しておきます。また、大阪大学、東北大学、北海道大学、東京の明治大学と、比べてみて下さい。長崎大学、視野が狭く、考え方がダメダメな大学ですよ。
*長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村で

長崎大学が、大村の人のことをどう思っているのか、非常に良くわかる記述があるので引用しておきました↑。また、他の大学と、比べてみて下さい。
明治維新の知識もなく、ただ長崎市は人口が多いだけで少ないところを、見下すだけなのでしょう。
長崎大学薬学部の教授陣が知らない「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」の方々を紹介します。
視野が狭く歴史の素養がない長崎大学薬学部の教授陣にもわかるように、できるだけわかりやすく書きます。
長岡半太郎、楠本長三郎、南鷹次郎、一瀬勇三郎という、近代日本の発展に欠かせなかった『長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」の方々です。
長崎市から、そんな人物出てますか?
長崎市の人が「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」と呼んだ方々です。
長崎市からはたいした人物は出ていませんが、そのことはご存知ないのでしょう。大阪市と同じで、長崎市は、場所だけ。人物が出ない、出ていない土地柄なのです。そのことをご存知ない長崎大学でしょ。
個人ブログなら問題ないでしょうが、大学の公式HPに堂々と書く感覚が、長崎大学は少し世間離れした感覚の大学だと言えるのです。さらに、10年以上訂正していませんから。
「天才と異才の日本科学史」(角川書店)によれば、日本の物理学は「東北の人たちが種をまき、大村の人たちが花を咲かせた」となっています。「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」が、日本に与えた影響を何も知らない視野が狭いのが長崎大学だと言えます。
「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」と書いて10年以上も訂正しない長崎大学。

大阪大学
長崎大学薬学部の公式見解の「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」からでた、物理学の巨人。長崎からは誰も物理学の巨人はでていません。
大村の長岡半太郎先輩。

大阪大学と大村高校の共通点
大阪大学も政府の援助なく設立された大学だと知りました。大村高校の前身・旧制大村中学校も、長崎県庁から妨害やいやがらせをされましたが、大村のみんなで力をあわせ、長崎県の援助なく設立し開校しました。
大阪大学の初代総長が長岡半太郎先輩ですから、官に負けない精神は、大村スピリットと言えるかもしれません。


大阪大学二代総長で、大阪大学医学部創設者の楠本長三郎は、旧制大村中学一期生です。大阪大学の成績優秀者に贈られる楠本賞は、楠本長三郎先輩が創設されました。
「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」の人が創設した、大阪大学で成績優秀者に贈られる楠本賞。長崎市出身の人が創設した賞、どこかにありますか?
楠本先輩(旧制大村中学一期生)、大阪大学総長時代の写真

東北大学
大村の長岡半太郎先輩が東北大学設立に関わっていました。
*東北大学百年史 6ページより引用

長岡博士は東北帝大理科大学(*東北大学 理学部・工学部)の産みの親の一人であり、理科大学(*東北大学 理学部・工学部)は長岡構想によって設立されたといってよい。
長岡半太郎先輩とはどんな人物だったのか?
一部抜粋です。

*出典:「かわりだねの科学者たち」仮説社

明治時代になるまで、日本には一人も物理学者がいませんでした。東大物理学科の初めての、そしてただ一人の卒業生として物理学者となり、明治以降、日本の物理学を切り開いたのが、大村市久原二丁目で生まれ育った、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)出身の長岡半太郎先輩です。
北海道大学
「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」から、札幌農学校に学び、「少年よ大志を抱け」のクラーク博士から直に学び、北大出身で初の博士号を取得し、初代北大農学部・学部長から。第二代北大総長になった大村の先輩。
長崎市からは、札幌農学校に進学した人は一人も出ていません。
大村の南鷹次郎先輩。
写真:北海道大学初代農学部長 → 第二代総長 南 鷹次郎(みなみ たかじろう)先輩

北海道大学初代農学部長から北海道大学第二代総長となった南鷹次郎(みなみ たかじろう)先輩(佐藤忠良 制作)
長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村で
「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村で」:大村が「非常に保守的」かどうか、検証されていませんから、長崎大学が大村に対して持つ偏見ですよね。長崎市からはたいした人物は出ていませんよ。
長崎大学は、長与専齊が大村出身であることが悔(くや)しくてたまらないんでしょうか。
長崎大学も含め長崎市の人たちは、「ごくふつうに大村を認めたうえで、なんの劣等感も感じないで、相手を尊重する」ということができないみたいですよ。
長崎大学の偏見をたたきこわすために、大村のことを弁護しておきますね。
現実的に、交通の便がよく、防衛のための軍隊(自衛隊)がある場所が都市なのだという定義があります。空港も軍隊もない長崎市は、都市にはなれないんです。
福岡市:空港、高速道路、新幹線、南福岡に自衛隊駐屯地
北九州市:空港、高速道路、新幹線、小倉に自衛隊駐屯地
大村市:空港、高速道路、新幹線(まもなく)、大村市内に自衛隊駐屯地+自衛隊基地
長崎市:空港がありません、防衛のための自衛隊がありません。ゆえに都市としての機能が欠けています。
長崎大学も含め、長崎の人は、しばしば場所を自慢します。
また、長崎市は、児童・生徒が殺人事件をおこし続けている場所です。「長崎市はいいところだ」と、根拠のない自己満足を、長崎市民は押しつけてきますよね。
*住みにくく、暮らしにくい長崎市
長崎市から人材は出ていませんから、場所だけ自慢することになるようです。でも、長崎市という場所、本当はよくないんですよ。
東京から見れば、長崎市も大村市も、どちらも地方都市にすぎません。ただ、空港がなく、空港から遠い長崎市のほうが不便な町なのです。
次の戦争がおきた場合(中国や韓国が日本に戦争をしかけてきた場合)、長崎市民を守ってくれる軍隊がないので、長崎市は危険ですよね。
実際、長崎市視点でものごとを見ていると、視野が狭いままで、全国レベルで物事を考えられない小さな人間で人生が終わりそうですからご注意下さい。
明治大学
大村の一瀬勇三郎先輩。
「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村」と公式発表した長崎大学ですが、長崎大学は、全国的に見れば、人口の減少が続く、交通面で不便で、財政状況が悪くて住みにくい長崎市という、東京に比べると田舎の大学ですよ。
さて、東京視点の明治大学のほうが、お墓まできちんと調べてあり、大村のことを尊重しています。
明治大学ホームページに登場する大村の先輩:一瀬勇三郎(いちのせゆうざぶろう)

大村市武部(たけべ)生まれ、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)から、大村藩の奨学金を受け、司法省(現在の法務省)法律学校卒。創立されたばかりの明治大学でフランス法の講義をしていました。お墓は長安寺(浄土真宗)。
上記を拡大↓
明治大学による一瀬先輩の紹介:「明治大学、明治ですから」より引用



明治になるまで、人材を育成する学校があったのは大村の五教館のみ。昌平黌(しょうへいこう、現在の東大のような存在)に学生を出したのも大村の五教館のみ。天領・長崎からは一人の入学者も出ていません。
もともと長崎なんてなかったのです。大村が長崎を開港し、大村が長崎の町を人工的に造作した歴史があります。
中世は、西九州(現在の、福岡・佐賀・長崎)の都市は、門司・博多・太宰府・大村。長崎なんてなかったのですから。和同開珎の時代から大村は存在しています。
3.補足
なお、上記の長崎大学のHPに付け加えますが、長与専齊の生まれ育った家は、国立病院そばに移築されています。家の敷地は、現在は、田崎真珠のあこや荘、その前は、旧制大村中学の校長先生の公邸でした。









