【在校生向け】大村高校のような伝統校が尊(とうと)い理由

伝統校は古いから尊いのではありません。

「日本の名門高校」より

「日本の名門高校」より

伝統校は、生き残ったから尊いのです。たくさんあった学校の中から現在まで生き残ったからです。

旧制長崎中学は廃校になりました。ほんとうはなくなって存続校ではないのに、長崎東高、長崎西高がウソ歴史を流布してます。旧制佐世保中学も廃校になりました。やはり、佐世保北高がウソの歴史を流布してます。

*九州伝統五校
九州伝統五校

調べてみると、旧制長崎中学は一度も長崎東・長崎西と合同で同窓会を開催したことがなく、旧制長崎中の先輩を招いたこともなく、校歌も校章も継承しませんでした。佐世保北高も同様。

大高坂

実は、生き残った学校は、流行による当たり外れ(アタリ、ハズレ)で言えば、ハズレが少ないのです。

*大村高校は全国で2番、九州で1番に開校した学校。
大村高校

日本歴史大事典(小学館発行 / カシオ電子辞書版)より 1670年 四代藩主 大村純長が開校した大村高校の前身・集義館(しゅうぎかん)

日本歴史大事典(小学館発行 / カシオ電子辞書版)より
1670年 四代藩主 大村純長が開校した大村高校の前身・集義館(しゅうぎかん)

流行で言えば、以前は長崎南高が流行しました。今は長崎西高と青雲、そして創成館です。しかし、流行は、時代が変われば、なくなります。篩(ふるい)にかけられ、篩を通過できなかった場合、なくなります。

地元に根ざしておらず、寮で自殺者を出した青雲学園など、100年後にはなくなっているでしょう。

世の中の法則として、新しく流行しているものほうが、古典よりも、早く古くなります。

日本の名門高校にランクインしている大村高校

日本の名門高校にランクインしている大村高校

実際、伝統校である大村高校は、時代の篩(ふるい)を通過し、1670年から現在まで生き残っています。つまりは、続くという意味で、何らかの普遍性が大村高校にはあるのです。

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