九七式飛行艇の開発ストーリーに登場する橋口義男(はしぐちよしお)というのは、大村の先輩です。
橋口先輩は帝国海軍に入隊するときの面接の試験官、山本五十六氏でした。のちに、ロンドン軍縮会議に、橋口先輩は、山本五十六海軍大将の副官として出席されました。
確認はしていませんが、橋口先輩は東大工学部船舶工学科を卒業時、軍艦の設計をやりたくて、帝国海軍に志願。面接官の山本五十六氏は、当時は航空本部長。山本五十六氏から能力を買われたため、橋口先輩は、飛行機と船を合体させた飛行艇の開発をすることになったのでは?と思います。
軍艦の設計なら、橋口先輩の名前が残りませんでしたが、日本初の飛行艇の開発成功ということで、橋口先輩と菊原技師(兵庫県姫路市出身、三高→東大航空工学科卒)の名前が残りました。

橋口先輩の経歴は、
竹松小学校
→旧制大村中学校(現、大村高校)
→旧制五高(現、熊本大学)
→東大工学部船舶工学科
→志願して、帝国海軍(現、海上自衛隊)
→軍籍のまま、川西飛行機(現、新明和工業)の役員
→帝国海軍 技術部門のNo.2
1984年の橋口先輩のインタビュー記事より:旧制大村中学(現、大村高校)から、第五高校(現、熊本大学)に進学するときにおきたこと

国立第五高等学校、旧制大村中学から22名受験し合格したのは2名。最初は、橋口先輩は、「推薦で合格」とされていたが、旧制大村中学から推薦で第五高校に進学した人が、落第してしまい、成績が不良だったために、「大村の学校推薦はあてにできない」として橋口先輩の推薦入学が取り消され、橋口先輩は一般入試で合格したエピソード。
橋口先輩の旧制大村中学(現、大村高校)時代

他に、無遅刻・無欠席で、しかも徒歩で10キロ以上の道を歩いて旧制大村中学(現、大村高校)まで通学したのは、三浦地区出身で、海軍兵学校(現、防衛大学校)に進学し、帝国海軍の大佐に昇進され、第二次対戦中、グアム島で司令官としてアメリカと戦い、戦死された、杉本先輩。
杉本先輩の経歴は、
三浦小学校
→旧制大村中学校(現、大村高校)
→海軍兵学校(現、防衛大学校)
→帝国海軍、大佐
日本初の飛行艇・九七大艇とアメリカ軍のB17が、ラバウル近くで、サシで戦った事実の再現動画
ラバウルは、最後までアメリカ軍の手には落ちませんでした。戦中、ラバウルのことは、はるかに離れた旧制大村中学生徒にも伝わっていました。
↓戦争中の旧制大村中学の在校生日記にも登場するラバウル
ラバウルが落ちなかった理由の一つ↓
他、橋口先輩に関して参考の動画

