大村と東京・品川は、一見、何のつながりもなさそうに見えます。
江戸時代は、1年ごとに、大村・玖島城から、江戸(今の東京)・日本橋を目指して、大村藩のメンバーは、参勤交代で歩きました。
品川は東海道五十三次(ごじゅうさんつぎ)に含まれていて、1年ごとに往復で、通っていました。通っているだけではなく、大村藩は徳川幕府からの命令で、ある重要なことを品川でおこなっています。
場所は特定できるので、いずれ、その場所に行き、写真が撮れましたら、アップして解説したいと思います。
*東京駅、新横浜駅、品川駅近くにある、ハンブルグステーキのつばめグリル:品川
*つばめグリル 新横浜
*東海道と大村高校のことを知らない人へ
*関ヶ原の戦いと大村高校
*天守閣がなかったのは、二万五千石の大村藩だけではなく、百万石の加賀藩の金沢城もありませんでした。
*ローマに日本人として初めて行ったのは、大村から出発した人たちでした。ローマ帝国の遺産を初めて見た日本人も。