【在校生向け】大村高校と平成時代:平成は1月8日から始まりました

日本の2676年(皇紀2676年)の歴史で、平成は4番目に長く続いた元号となりました。

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【在校生向け】問題:日本は、いつ、どこで、誰によって始まったのですか?
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さて、昭和64年は、1月1日から1月7日までの7日間しかありません。

27年前の1月7日、昭和天皇が崩御(ほうぎょ)され、自民党・小渕(おぶち)官房長官が新元号「平成」を発表しました。平成はその翌日である、1989年1月8日から始まりました。

内閣官房長官 小渕恵三(おぶちけいぞう)氏による新元号の発表

内閣官房長官 小渕恵三(おぶちけいぞう)氏による新元号の発表

*国立公文書館より


大村高校旧校舎は昭和63年12月に解体が始まりました。
*国道34号線側より

大村高校旧校舎 正門より撮影

大村高校旧校舎 正門より撮影

旧校舎は、昭和8年から昭和が終わるまでの55年間使用されました。大村高校旧校舎には、戦争の名残(なごり)がありました。戦時中の物資不足により、昭和19年(1944)鉄でつくられた階段の滑り止めが(全階段すべて)が供出されました。

*イメージ:階段の滑り止め
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階段の滑り止めは、戦争が終わったその後も、長崎県が予算を出し渋ったため、大村高校旧校舎が解体されるまで、もとにもどることはありませんでした。

なお、大村高校旧校舎の一期生となったのが、後に、アジア人として初めて世界銀行副総裁となる服部正也先輩です。服部先輩は、東大教養部の前身・旧制国立第一高等学校に一番で合格した先輩です。

服部(はっとり)先輩の経歴

服部(はっとり)先輩の経歴

昭和8(1933)年 旧制大村中学屋上。服部先輩がこの中に。多良岳を背にして、大村公園方面に向け撮影してあります。壇上は校長先生です。グラウンドにはサッカーゴールのような設備が見えます。現在の体育館の場所は、まだ水田です。国道34号線は、まだ、ありません。

昭和8(1933)年 旧制大村中学屋上。服部先輩がこの中に。多良岳を背にして、大村公園方面に向け撮影してあります。壇上は校長先生です。グラウンドにはサッカーゴールのような設備が見えます。現在の体育館の場所は、まだ水田です。国道34号線は、まだ、ありません。

平成2年、旧校舎の場所に、大村高校現校舎が完成しました。

大高坂

昭和時代の大村高校

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