大村高校の校歌 1

●旧制大村中学校校歌は、昭和3年/1928年11月制定されました:校歌制定エピソード

大正13年/1924年、鹿児島から、二高(*東北大学教養部)、東大卒の広田 和(かのう)校長が来任された。

旧制大村中学第17代 広田和(ひろたかのう)校長

旧制大村中学第17代 広田和(ひろたかのう)校長

広田校長の二高(東北大学教養部)時代の恩師が、当時、二高教授だった詩人の土井晩翠(どい ばんすい)氏であった。

*土井晩翠
スクリーンショット 2016-04-05 1.20.54

*大村高校と東北大学の縁は、東北大学工学部の創設者が、大村高校の前身である五教館出身の長岡半太郎(大阪大学初代総長)。

広田校長の特別の依頼で、できあがった魂のこもった作品が、旧制大村中学校歌(大村高校百年史P110、旧制大村中学文芸誌・玖城 昭和8年号による)。

作曲された山田耕筰(やまだこうさく)氏の自筆楽譜は、大村高校図書館に所蔵されている。

スクリーンショット 2016-04-05 1.17.47

制定されたのは、旧制大村中学
30回卒が5年生、
31回卒が4年生、
32回卒が3年生、
33回卒が2年生、
34回卒が1年生の時だった(旧制中学は5年制。成績優秀者は4年で卒業・進学が可能だった)。

校歌 縦書き
旧制校歌1

校歌 横書き
旧制校歌2

大村高校旧校舎 正門より撮影

大村高校旧校舎 正門より撮影


△昭和8(1933)年から昭和63(1988)年11月まで55年間使用された旧校舎。

昭和8(1933)年 旧制大村中学屋上。服部先輩がこの中に。多良岳を背にして、大村公園方面に向け撮影してあります。壇上は校長先生です。グラウンドにはサッカーゴールのような設備が見えます。現在の体育館の場所は、まだ水田です。国道34号線は、まだ、ありません。

昭和8(1933)年 旧制大村中学屋上。服部先輩がこの中に。多良岳を背にして、大村公園方面に向け撮影してあります。壇上は校長先生です。グラウンドにはサッカーゴールのような設備が見えます。現在の体育館の場所は、まだ水田です。国道34号線は、まだ、ありません。

注釈

●旧制大村中学校歌:作詞 土井晩翠(どい ばんすい)

土井晩翠(どい ばんすい)氏の経歴
宮城県仙台市出身 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を師と仰ぎ、東京大学英文科卒。母校・仙台の旧制二高(東北大学教養部)で英語を教えながら、処女詩集「天地有情」を発表、島崎藤村と詩壇を二分した。

昭和二十五年に文化勲章を受賞、仙台市名誉市民。また、「荒城の月」(滝廉太郎 作曲)の作詞者

晩翠草堂(ばんすいそうどう):土井晩翠の旧邸跡

土井晩翠校歌資料室:仙台市立谷町小学校内

土井晩翠が作詞した校歌(大学・高校)

1.大学:東京工業大学・旧都立大学、大阪大学(大阪大学初代総長は、大村久原出身・長岡半太郎[1865-1950])、神戸大学、神戸商船大学など

2.高校:大村高校、北野高校(大阪)、秋田高校(秋田)など

●作曲 山田耕筰(やまだ こうさく)

東京出身 東京音楽学校(現在の東京芸術大学)卒。ドイツ帝国の首都ベルリンに10年間留学。

帰国後、東京フィルハーモニーに管弦楽部を創設。

日本楽劇協会・日本交響楽協会を設立。日本の洋楽普及に多大な貢献をした。

山田耕筰 全著作(岩波書店)

●長崎県内 旧制中学校 校歌一覧
旧制中学校歌

校歌制定

大村高校の校歌 2

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