日本人初の世界銀行副総裁となった服部正也(はっとり まさや)先輩 1

日本人初の世界銀行副総裁となった服部正也(はっとりまさや)先輩

● 服部正也(はっとり まさや)
大正7年~平成11年/1918~1999

日本人初の世界銀行副総裁。

旧制大村中学より、一高(東大教養部)に1番で合格。長崎県内初の快挙。一高を経て、東大法学部に進学。

日本銀行、ルワンダ中央銀行総裁を経て、日本人として、そしてアジア人として初めての世界銀行副総裁に就任された。

大村高校100周年(昭和59年/1984年)記念の日、大村高校で生徒に向けて講演された服部先輩。服部先輩の講演を聴いたのは37回卒・38回卒・39回卒。

服部(はっとり)先輩の経歴

服部(はっとり)先輩の経歴

服部先輩は、大村高校旧校舎の新築一期生。

昭和8(1933)年 旧制大村中学屋上。服部先輩がこの中に。多良岳を背にして、大村公園方面に向け撮影してあります。壇上は校長先生です。グラウンドにはサッカーゴールのような設備が見えます。現在の体育館の場所は、まだ水田です。国道34号線は、まだ、ありません。

昭和8(1933)年 旧制大村中学屋上。服部先輩がこの中に。多良岳を背にして、大村公園方面に向け撮影してあります。壇上は校長先生です。グラウンドにはサッカーゴールのような設備が見えます。現在の体育館の場所は、まだ水田です。国道34号線は、まだ、ありません。

大村高校旧校舎 正門より撮影

大村高校旧校舎 正門より撮影

現在の敷地に、写真の校舎ができる前は、旧制大村中学は、現在の大村小学校の場所にありました。

服部先輩の遺稿となった著書 

服部先輩の遺作

服部先輩の遺作

援助する国される国―アフリカが成長するために

その他の服部先輩の著書。

ルワンダ中央銀行総裁日記
この本は、数年間、絶版(ぜっぱん=out of print)になっていて、入手困難本だったのですが、平成21年/2009年12月に復刊されています。また、キンドル版も出ています。本には、服部先輩が、旧制大村中学時代に感じたことも書かれています。

服部先輩の体験記「ルワンダ中央銀行総裁日記」。単身、アフリカのルワンダに乗り込み、ルワンダ国の国家財政再建に取り組んだ日記です。

服部先輩の体験記「ルワンダ中央銀行総裁日記」。単身、アフリカのルワンダに乗り込み、ルワンダ国の国家財政再建に取り組んだ日記です。

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

ルワンダの場所

アフリカ大陸のルワンダ国。大村高校100年史には「ウガンダ」と書いてありますが、間違えやすいのですが、正確には「ルワンダ」です。

アフリカ大陸のルワンダ国。大村高校100年史には「ウガンダ」と書いてありますが、間違えやすいのですが、正確には「ルワンダ」です。

ルワンダ

ルワンダ

服部先輩のことは、大村高校百年史に記載されています。

このころ、旧制大村中学では、校長の方針で、全員が高い目標を掲げて、1年時から、勉強量を増やす作戦が実行されました。この学年は、ことごとく難関だった志望校に合格しています。服部先輩は文科のトップでした。

旧制中学は5年制でした。成績優秀者は、卒業前の4年から、旧制高校の受験が可能でした。4年で旧制高校に合格した成績優秀者は、四修(よんしゅう)と呼ばれました。服部先輩の学年では4名が四終で、旧制高校に合格しました。服部先輩が、旧制第一高等学校に一番で合格したことに、旧制長崎中学(戦後、廃校になった)は、驚きを隠せなかったそうです(旧制長崎中学の人たちは、大村をなめていたそうです)。

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*旧制高校・・・3年制。長崎に高校はありませんでした。ナンバースクールとよばれる国立高校は、当初、熊本の第五高等学校、鹿児島の第七高等学校と2校だけ。のちに、旧制福岡高校、旧制佐賀高校が設立され、九州の高校は4校でした。旧制度は、小学校が六年制、中学が五年制、高校が三年制、大学が三年制でした。

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当時、旧制大村中学は、落第点が60点。1点でも下回った生徒は、容赦なく落第させられていました。入学時、1学年定員120名でしたが、服部先輩の学年は、4年修了時に60名になっていました。

服部先輩に関して 続き

日本人初の世界銀行副総裁となった服部正也(はっとり まさや)先輩 2
写真(上)は、大村高校100周年(昭和59年/1984年)記念の日、大村高校で生徒に向けて講演された服部先輩です。服部先輩の講演を聴いたのは...
日本人初の世界銀行副総裁となった服部正也(はっとり まさや)先輩 3
ツイッター上で流れていたので引用 ルワンダ中央銀行総裁日記には、旧制大村中学時代の教育のことも書かれています。大村...

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服部先輩と同期だった堀池清(ほりいけ きよし)先輩の業績を書かせていただきます。旧中(旧制大村中学)39回卒。

平成14年(2002年)11月17日に83才でにお亡くなりになった堀池先輩は、日活の映画監督でした。

堀池先輩の作品一覧
監督
1954.06.27 かくて夢あり  日活  … 助監督
1954.09.21 泥だらけの青春  日活  … 助監督
1954.12.28 お月様には悪いけど  日活
1955.02.11 青春温泉夜話 湯の町椿  日活
1955.08.02 青空の仲間  日活
1955.12.04 母なき子  日活
1956.04.25 愛情  日活
1956.09.18 隣の嫁  日活
1956.10.24 感傷夫人  日活
1957.03.13 青春の抗議  日活
1957.09.15 危険な年齢  日活
1958.01.03 禁じられた唇  日活
1958.08.19 悪魔と天使の季節  日活
1958.12.03 港で生れた男  日活
1959.02.04 青い国道  日活
1959.04.15 だから言ったじゃないの  日活
1959.09.30 夜霧の空港  日活
1960.02.10 飢えた牙  日活
1960.05.21 僕は泣いちっち  日活
1960.06.25 お嬢さんの散歩道  日活
1960.11.12 情熱の花  日活
1961.01.15 少女  日活
1961.05.08 青い芽の素顔  日活
1961.08.06 ヨットとお転婆娘  日活
1961.11.01 ママ恋人がほしいの  日活
1962.06.03 目をつぶって突っ走れ  日活
1962.10.31 若い旋風  日活
1962.11.21 若いふたり  日活
1963.09.11 丘は花ざかり  日活
1963.10.27 その人は遠く  日活
1963.12.08 泥だらけのいのち  日活
1965.05.16 青春前期 青い果実  日活
1965.09.18 あいつとの冒険  日活
脚本
1957.03.13 青春の抗議  日活
1960.11.12 情熱の花  日活

堀池先輩の作品紹介

服部先輩、堀池先輩のご冥福をお祈り申し上げます。

大村高校写真部OBリンク

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