名古屋市の「大高」という地名:名古屋都市高速道路の標識(右側の鉄塔がある建物は放送局のテレビ愛知)
助手席より撮影
「大高」という名の日本酒:
名古屋市:神の井酒造
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織田信長が今川義元を破った桶狭間(おけはざま)の地に、「大高」という名の酒を醸造している酒蔵があります。名古屋市内です。
さて、桶狭間(おけはざま)の戦いと言っても、九州ではなかなかピンときません。おそらくその理由は、織田信長も今川義元も、かなりフェイクが入った大河ドラマ、そして教科書の中だけの話のように感じられるからでは?
*今川義元がモチーフの「よしもと」くん
名古屋周辺の文学部史学科で日本史専攻だと、卒論に織田信長を選択する学生が多く、振り分けるのが大変だと、ある大学の教授がおっしゃっていました。たぶん、名古屋や岐阜では織田信長が身近な存在だからでしょう。
*織田信長がモチーフの「のぶなが」くん
桶狭間と大村の関係は、江戸時代の参勤交代で大村藩は往復約200回以上、桶狭間(おけはざま)のある「鳴海(現在の有松[ありまつ])」という宿場を徒歩で通過しています。買い物したか滞在したかどうかは、大村藩のブログのような歴史書である九葉実録(くようじつろく)という書物を調べてみてください。
この「鳴海(現在の有松[ありまつ]」という宿場は、実は、現在も江戸時代のまま保存されているので、訪問した場合、江戸時代の感覚がわかると思います。
鳴海(なるみ)の位置
桶狭間(おけはざま)から近い「鳴海(現在の有松[ありまつ])」
大村と織田の接点はポルトガルから大村領にやってきた宣教師ルイス・フロイスです。
【在校生向け】織田信長と大村をつなぐルイス・フロイス 3:大村純忠公を暗殺しようとした諫早、そして日本初公開のルイス・フロイス書簡集
桶狭間の戦いは、織田信長が今川義元を破った戦いです。今川義元が織田信長から討ち取られたので、今川の人質だった徳川家康が自由になりました。家康は信長のおかげで、天下統一の第一歩を踏み出したようなものでしょう。
ところで、東京や大阪には、市街地に酒蔵(さかぐら)はありませんが、名古屋には酒蔵が5軒もあります。有松の近くには、現在も、酒蔵が3軒あります。日本酒を製造・販売しているのです。
*桶狭間と大高(おおたか:名古屋市緑区)
ご存知でしょう、桶狭間の戦いの前日、今川は勝利を確信していました。おそらく信長の指示でしょうか?有松に近い大高(おおたか)の酒蔵から日本酒が今川方に運ばれました。当日の天候は悪く、戦いがないと思ったのか、今川の軍勢は勝利を確信していたので、酒を飲み酔っ払ったところに信長が攻め込み、今川は滅亡します。
大高(おおたか)の酒蔵(現在も3軒残っている)
名古屋・神の井酒造の「大高」という名前の酒:大村高校の略称は大高(だいこう)ですが、酒の名前の大高は「おおたか」と発音します。
*今川義元が敗れた場所
歴史に興味がない人は、おそらく歴史上の現実が身近に残っている場所がわからない、実感できないから、なのではないでしょうか?
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