古代だと、ギリシア、国民の不満を利用して有権者をあおり、僭主(せんしゅ)制になった例があります。
最近だと、民主党(現、立憲民主党)が、日本国民を「政権交代」の名であおり、民主集中制(民主主義のような名前だが、実は独裁制なのです)を目指していたような例がありました。
地政学者 奥山博士の動画とブログより
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国民投票はなぜそれほど「民主的」ではないのか
By アマンダ・タウブ&マックス・フィッシャー世界中の有権者は、この1年で大変な経験してきた。彼らはコロンビアの和平交渉を拒否し、EUから英国を離脱させ、民主制を後退させるタイの憲法を支持し、ハンガリーでは必要票数のないまま政府の難民拒否の法案を可決させたからだ。
これらはすべて「国民投票」(national referendum)によって決せられたものだ。有権者はこれを通じて政府の計画をひっくり返したが、これらは自らの権利を弱め、政治危機を発生させることになり、ある一つのことを達成した。それは、多くの政治学者が、なぜ国民投票を「やっかいで危険なもの」だと考えているのかをまざまざと見せた、ということだ。
ダブリンのトリニティ・カレッジの政治学者マイケル・マーシュ(Michael Marsh)は、「シンプルな答えとして、国民投票は絶対的に危険なものだ。私はアイルランドで行われた国民投票を何度も経験しているが、それらはほとんど無意味なものから、危険なものまである」と答えている。
もちろん国民投票に一票を投じた有権者たちは、民主制度の最も純粋な形のものを実行した人々として描かれることが多いが、研究によれば、民主制を悪化させることのほうが多いという。有権者というのは移り気であり、明らかに有益な決断を覆すだけでなく、コロンビアの例でもわかるように、天候のような予測不能な要素に左右されることもあるからだ。
有権者たちは、基本的にあまり情報のない状態で投票するものであり、その判断を、政治的なメッセージを頼りに行わざるを得ない。そうなると、その権力は投票者ではなく、政治エリートたちの手中にあることになる。
ロンドン大学政治経済学院(LSE)のアレクサンドラ・シロン(Alexandra Cirone)によれば、「これはリスキーな手段なのだが、政治家はそれでも自分たちが勝てると思い込んでいるので使いつづけるのだ」と述べている。
ところがそれでも勝てないことは多く、問題を解決するのではなく新たな問題を作り出してしまうものだ。たしかにこれについての研究結果を見ていくと、多くの専門家たちが国民投票をなぜ信じていないのかがよくわかる。
▼難問への「ショートカット」?
有権者はあらゆる国民投票でひとつの問題に直面する。それは難しい政策の選択を、シンプルは「イエス」か「ノー」の判断にまとめて考えなければならず、しかも決定の結果はあまりにも複雑で、専門家でもそれを理解するのに数年かかるほどだからだ。
有権者たちはこの問題を、政治学者のアーサー・ルピア(Arthur Lupia)とマシュー・マキュビンズ(Mathew D. McCubbins)が「ショートカット」(short cuts)と名付けたものによって解決する。つまり有権者たちは、有能そうな人物や、親しみのあるナラティブに当てはまる選択をする、ということだ。
政府が国民投票を進める場合、トロント大学の名誉教授である政治学者のローレンス・レドゥック(Lawrence LeDuc)の研究によれば、国民はその国の首相や与党の好き嫌いで投票を決めるのであり、国民投票で問われる国民的な問題の選択とは関係なくなることが多いという。たとえばコロンビアでは、2014年にサントス大統領に投票した選挙区のほとんどは、今回の和平提案にも投票している。
また有権者は、既存のイデオロギー的な思想の枠組みの中で複雑な問題を考えようとするものだ。このようなメカニズムはほぼすべての国民投票で作用しており、しかもその問題の深刻度が増せばますほど、この傾向は高くなる。
▼「わかりやすい話」の強制
もちろん政治家やその他の実力者たちは、国民投票の問題をシンプルでわかりやすい話にして語ることが多い。
結果として、その投票は実際の政策の問題ではなく、抽象的な価値観や、有権者にとってどちらの側のストーリーが魅力的なものに映るか、という競争になってしまうのだ。
イギリスではEU離脱(ブレグジット)についての議論では、両陣営ともEUの参加国としての立場を細かく議論せず、どちらの価値を強調した選択にするかという枠組みで問題が語られることになった。「残留派」側はEUの参加国として残ることが経済の安定性につながると論じたのであり、「離脱派」は移民問題という点を強調したのだ。
そしてこの両陣営の狙いは当たった。残留に投票した側の人々は経済面での懸念を表明したが、移民問題は問わなかった。離脱派は移民問題の懸念を表明したが経済についてはそれほどであったのだ。
コロンビアでもサントス大統領は国民投票を「和平のための投票だ」と表現したが、反対派は最大の反乱グループであるFARCが国民からそもそも受け入れられる存在なのかどうかを問うものだとしたのだ。そして両陣営とも、その講和締結が本当に価値のあるものかどうかという問題には十分に踏み込まなかったのである。
タイでは軍主導の政府が8月に国民投票を行い、軍の権力を確立して民主制を弱める新しい憲法を認めさせている。ところがタイ軍は憲法が成立した後に選挙を実行すると約束しており、これは実質的に「非民主的」な憲法を「選挙推進のもの」として売り込んだということだ。そしてこれも議会を通過している。
▼権力者のツールとしての民主制
国民投票というのは、リーダー側がすでにやると決心したことを、「国民の手に選択肢を渡したもの」として描き出して「国民からの信任」というスタンプを押すために行われることが多い。
ところがシロネ氏によれば「国民によって決断されたかどうかはそれほど関係ない。政治家が国民に問うことによって有利になるかどうかのほうが重要だ」という。
たとえば7月まで英首相をつとめていたキャメロン氏は、自分の決断であるEU残留の意見が通るはずであり、これによって離脱派のライバルたちを黙らせることができると予測していた。
タイ軍も憲法草案についての報道を制限しつつ、民主制への脅威という反論が出ないようにしていた。国民参加という装いをまとっていたが、実際に軍はその参加を制限することになったのである。
ハンガリーのオルバン首相も、EUからの難民受け入れ要求について問う国民投票を自ら企画したといわれており、これは自らの決断がEUからの反発を受けることを予期しており、ついでに自分の権力の立場を固めておくという、いわば先制的な措置であったといわれている。
いずれにせよこれらのケースでは、選挙が自身の立場を強化するためのツールとして使われたのである。
▼ハイリスク・ハイリターンな和平投票
「国民からの信任」というのは、下手をしたら国内での激しい議論から政治不安、さらには武力衝突までつながるようなものを決着するという意味で、良い結果を生むこともある。ところがそこで決定されることの意味が重大であればあるほど、そのリスクも高まるのだ。
1998年に締結された北アイルランドの「ベルファスト合意」の後に、北アイルランドとアイルランド共和国で二つの国民投票が行われた。これによって両国に生きる人々は自分たちの意見が尊重されたと感じたと共に、まだ戦い続けたいと考える人々を脇にどけることができたのであり、これによって紛争の再発を難しくすることができたのである。
国民投票が通常の選挙と異なるのはまさにここにある。それが成功するのは、国民全体が「投票は大衆の意志を代弁している」と感じたときだけであるという点だ。しかもその効果が高まるのは投票率が高く、どちらか一方が一方的な勝利を収めた場合であり、1998年の北アイルランドで起こったのはまさにこれだったのだ。
ところがコロンビアの場合、投票率は有権者のたった38%だったのであり、しかもその票もほぼ完全に割れていて、たった数千人の気まぐれでも結果を劇的に変えるものであった。もし国民投票で可決されたとしても、その講和には大衆による正統性のお墨付きがついたとはいえなかっただろう。
不思議なことに、コロンビアとイギリスの場合も、一方の勝利のために50%以上の過半数の得票を必要としなかったのだ。低い得票率で、しかもコロンビアの例のように結果が接近していると、政治面での議論が苛烈になるリスクも出てくる。
リーダーたちは大衆の意志を明確に示したとはいえないその結果を、受け入れるか、もしくはその結果を拒絶して政治面での反発か、体制面での危機のリスクを背負うかの選択に迫られるのだ。
▼ロシアンルーレット
国民投票というのは、争点となっているものとは無関係のところや、誰もコントロールできない要因で動かされることもあるために、極めて移り気なものである。
意識調査の結果というのは有権者たちが投票直前にならないと態度を決めないことが多いために、読み違いを起こしやすい。彼らはおのずと意見を変えやすいからだ。トリニティ・カレッジのマーシュ教授は「その投票から一週間もすれば国民はそこでの議論の可否を忘れてしまうものであるし、なぜイエスかノーに投票したかのか、その理由も忘れてしまう」と述べている。
そのため彼は「国民投票は信頼できないものだと感じますよ」と付け加えている。
政治から生じるノイズも国民の意志を捻じ曲げることにつながる。ある党の支持率の上下や党内の権力争いが外に漏れてくること、そしてメディアの関連問題についての報じ方など、それらすべてが影響を及ぼすことになる。
また、投票者たちは天候のようなランダムな要素にも左右される。コロンビアでは投票日の直前にハリケーンが通過しており、いくつかの地区では住民が避難しており、それが投票率そのものに影響を与えた可能性もあるのだ。
ハーヴァード大学の経済学の教授でイギリスのEU離脱投票の件について書いたケネス・ロゴフ(Kenneth Rogoff)は、「どこかの瞬間で過半数をとったことによってものごとが決定されたということが必然的に民主的であるという考え方は、そもそも民主制という言葉の概念を捻じ曲げたものだ」と書いている。
「こんなのは民主制じゃなく、共和政体に対するロシアン・ルーレットでしかありません」と彼は付け加えている。
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たしかにキャメロンの無謀なギャンブル体制を見ていると、国民投票の危険性がわかりますね。
クラウゼヴィッツは戦争の「三位一体」の一つに「チャンス」(偶然性)を挙げてますが、そこに頼ろうとする政治家たちの本来持つべき「理性」も、政治(戦争)の混沌の中に発生する「情熱」に負けてしまう、ということでしょうか。
日本も憲法改正で国民投票を、という話が少し出たことがありましたが、これは一つの教訓例として参考になりますね。