出典:アメリカの外交専門誌 “The National Interest” の2016年7月16日版記事、ドイツの神風特攻隊であるエルベ特別攻撃隊
日本の特攻:神風特別攻撃隊
長崎県では、児童・生徒に対して先生方が、「神風のような特別攻撃は日本だけ」と教え、実物と実像を知らない先生方が「おあかぁさ〜んと叫びながら特攻をおこなった」と長い間、教えられて続けていました(います?)。
そして「特別攻撃の効果はなく、無駄だった」と、教えられていました(います?)。
でも、長崎県で教えられてきたことはウソではないのでしょうか?
なぜなら、日本以外に、ドイツにも、そして英国にも特別攻撃はありましたから。
また、一般の攻撃より特別攻撃のほうが戦果があった事実が残されています。
長崎県の学校の先生方は、ウソを教えてきたのでしょうか?
まず、初の神風特別攻撃隊に関しての再現動画:制作はアメリカのヒストリーチャンネルより。
日本、米国、双方の生存者インタビューにより、事実がわかります。
米軍撮影:初めて神風攻撃を受ける米空母。本物の写真。関大尉が、米軍空母に神風攻撃され散華された瞬間の写真
このあと米空母セント・ローは沈没します。
米軍撮影:動画による初めての神風攻撃の様子。関大尉が散華される瞬間です。
音声なし
ドイツの特攻:エルベ特別攻撃隊
実は、神風(カミカゼ、あるいは、しんぷう)攻撃は、日本のみならず、ドイツ、英国でも第二次大戦中に実施されました。
ドイツ空軍エルベ特別攻撃隊(昭和20年/1945年4月7日)
日本と同じくドイツでも、志願して特攻の任務にあたりました。
エルベ特別攻撃隊 再現動画と生存者インタビュー
生存者インタビュー動画にあるように、目の前で、アメリカの空爆によって、民間人である親兄弟妻子供が殺されるなら、ただ黙って殺されるより、戦うほうを選ぶでしょう。
日本もドイツも同じ。アメリカ軍の空爆で、非戦闘員である、民間人が無抵抗のまま殺されました。
生きるか、死ぬかの状態になったら、ただ、敵から殺されることを望むでしょうか?
長崎県の学校の先生は、国家や国旗を否定して、ただ殺されるだけの人間を育てる教育をしたがっているのではないでしょうか?
動画その1
特攻志願者と志願した理由 特攻し生き残った方の証言動画、7分16秒より 日本もドイツも同じ
この動画シリーズは、本当に特攻に参加して、生き残った方々が証言しているから、説得力があるのです。長崎でおこなわれている、ニセモノ被爆者の平和授業とはレベルが違うのです。
動画その2
日本と同様、ドイツも苦しかった。
アメリカ軍爆撃機1300機+戦闘機800機に対し、ドイツ軍は180機しかなかった。
日本と同様、それでも立ち向かったドイツ。
日本とアメリカの戦いは海であったため、特攻して生存しても、海中でサメの餌食になったり、溺死したりして、生存しにくかったようです。ドイツとアメリカの戦いは、陸。ヨーロッパ大陸のドイツ領内であったため、打ち落とされても、パラシュートで陸に着地して助かっているのが、大きな違いです。
動画その3
ドイツは科学力に優っていても、アメリカは資源と物量で攻めてきました。圧倒的な物量でした。
動画その4
動画その5
英国の特攻:チャスタイズ作戦(昭和18年/1943年5月17日
イギリス空軍・第617飛行中隊によるチャスタイズ作戦(昭和18年/1943年5月17日)が、イギリスによる特別攻撃隊です。
映画にもなっています。この英国の特攻であるチャスタイズ作戦の特攻スタイルが、実は、デス・スターを攻撃するスターウォーズ(映画)のもとになっています。
デス・スター(スターウォーズ)
チャスタイズ作戦に関して
チャスタイズ作戦は、ダム破壊が目的の作戦なのでダムバスターズと呼ばれています。
ニコニコ動画より チャスタイズ作戦を再現した映画:ダムバスターズ
作戦は、日本の神風やドイツエルベの特攻隊と同様、メンバーが志願者によって構成されました。
チャスタイズ作戦をもとにしたスターウォーズ
大村のこととチャスタイズ作戦が書かれた本があります
「血にコクリコの花咲けば」に、英国の神風特攻のことが書かれています。
「血にコクリコの花咲けば」著者は、ロンドン大学名誉教授・英国学士院会員・大阪大学名誉教授の故・森嶋通夫(もりしま・みちお)氏。森島氏は、第二次大戦中、大村市の大村海軍航空隊に所属。終戦を大村で迎えられました。
森嶋氏は、京都大学在学中に学徒動員で海軍に入り、大村の大村海軍航空隊に配属。暗号解読を任務としていました。
大村航空隊の森嶋氏と交流があったのが、当時、大村高校の前身・旧制大村中学出身で旧制一高(東大教養部)から東大法学部進学後、日本銀行に入行。それから帝国海軍に志願して海軍予備学校に入り、海軍の特務機関(横須賀)で暗号解読していた服部先輩です。
大村から神奈川県・横須賀市は遠いように思えますが、当時、横須賀と大村は海軍の定期便(飛行機)が飛んでおり、横須賀←→大村は2時間で到達が可能でした(森嶋氏の著作:「血にコクリコの花咲けば」による)。
なお、森嶋氏は、大村の海軍航空隊で、戦艦大和の最後の電文を受信された方です。
おわりに
その1
元記事はこちらに。今回、修正を加えました。
その2
なお、アメリカの外交専門誌 “The National Interest” の2016年7月16日版記事をもとにして、日本の産経新聞・関西版が2016年8月16日、ドイツの特攻を記事にしているようです。
産経新聞・関西版2016年8月16日