中学・高校生は、これから国立大学の文学部や教育学部に進学するのは、少し考えたほうがいいでしょう。なぜなら、廃止の流れだからです。
今後、文学部・教育学部は、予算が減り、研究費も減少し、最終的に学部がなくなる方向になる可能性が高まっています。文学部・教育学部に進学しても、卒業後、廃止されたら、かなり衝撃でしょうね。
国立大学の文学部・教育学部志望者は、目を通しておきましょう。
文部科学省:国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点(PDF)
文学部は、国立大学には不要だという結論なのでしょう。文学をやりたい場合は私立大学に行きなさいという意味なのでしょう。確かに、限られた予算を投入する場合、国立大学の趣旨を考えると、予算を文学部に投入するより文学部を廃止して、工学部・理学部に予算増額すべきでしょうね。そのために私立大学があるのです。
教育学部は、ご存じのように、日本を破壊するサヨク思想の洗脳装置のようになっている部分があります。
また、教育学部は、真理を追究してゆく学問ではなく、専門学校のような職業訓練校のようにみえることでわかるように、本当の学問ではなく、職業訓練校のような実情から、大学というより、専門学校です。戦前も大学扱いではなく、師範学校という専門学校扱いでした。
ですから、大学としては、廃止したほうがいいんじゃないか?と思っていました。そうしたところ、本当に廃止の流れになりました。
実際、少子化で志望者も減少しているし、教育学部廃止はよい傾向だと思えます。是非実現してほしいですよね。そのかわり、教員検定試験と、師範学校の復活が必要になるもかもしれませんね。
それくらいやらないと、サヨク思想にどっぷりつかり、いいたいほうだい・やりたいほうだいで甘えた今の教育学部出の先生方は、なかなか目が覚めないし、教師が失った信頼は取り戻せないと思います。
ところで、学校の先生は、軍人を否定してばかりのようですが、ほんとうは、学校の先生も軍人も同じなんです。
それは、戦前、師範学校、陸軍士官学校、そして海軍兵学校は学費が無料で、同類項で、同じ階層の方々が進学していたのですから。
実際、家が貧しくて、勉強も運動もできる人は、陸士か海兵に進学。そして、家が貧しくて、運動ができなくて勉強だけの人が師範学校に進学していました。
他に、戦前は、学歴はなくても向学心のある人には道が開かれてました。師範学校に行けなくて、教員になりたいひとは、独学して、教員検定試験に合格すれば教員になることができたのです。
師範学校あがりの人より、検定あがりの人のほうが優秀で、大学教授になった人が多くでました。
たとえばこの参考書「英文解釈の技術」の著者:柴田徹士 氏
引用:希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)より
大阪大学教授で『アンカー英和辞典』(1972;学研)の編集主幹だった柴田徹士は努力の人だ。
柴田は1910(明治43)年に香川県に生まれ、10人きょうだいの長男として昼間は家業の豆腐屋を手伝いながら、夜間の商業学校を卒業。2年後の1930(昭和5)年に難関の文部省中等教員検定試験(文検)英語科に合格したが、その後も豆腐屋を手伝い、朝まだ暗いうちから油揚げ作りを続けていた。
さらに独学を続け、1933(昭和8)年には高等教員検定試験英語科に合格。今でいえば、大学教授資格といったレベルの試験。新聞で「豆腐屋が高等教員に合格」と社会面のトップ記事になったという(儀同保『独学者列伝』)。
こうして、大阪府立高津中学(現・高津高校)の教諭となり、1942(昭和17)年には甲陽高等商業学校の教授、次いで大阪府立浪花高等学校の教授を務め、戦後の学制改革により新制大阪大学教養部の教授となった。1999年没。
*柴田が自らの英語学習暦と勉強法などを語った『英語再入門』(南雲堂、1985)はおススメだ。
大学教授ではないが、大村高校の場合、戦前、検定試験から教員になり、旧制大村中学教員に採用され、明治の私立大村中学から昭和の大村高校まで伝えた本を残した金滝先生。
金滝先生の著書 野口山荘随筆(のぐちさんそうずいひつ)より
金滝先生から習った、大村高校校歌の作詞者・福田清人先輩の著書「秋の目玉」を読むと、当時の生徒から、検定合格の先生は尊敬されていたことがわかります。
実は、野口山荘随筆という本は、金滝先生の死後、先生の遺言により出版されました。金滝先生は、生前、チラシの裏紙に膨大な原稿を残していました。
金滝先生が残したチラシの裏紙を(ここからが、さすが大村高校と言える)、なんと、
- 大村高校同窓会が同窓生に発案し、
- 金滝先生の教え子たちが、金滝先生が生前に残したチラシの裏紙の文書を、手書きで、すべて原稿用紙に書き写し、
- 同窓会で資金を集め、
- 金滝先生に習った日本経団連の今里広記(いまざとひろき)理事が題字を書き、
- 福田清人先輩が本の前書きと経緯を書き、
出版されたものなのです。
したがって、この事実により、当時は、検定合格の先生がいかに尊敬されていたか、わかります。
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