「シルクロード」(絹の道)という言葉を知らない人はいないと思います。「シルクロード」と命名したのが、ドイツ(当時はプロシア国)人のリヒトホーフェンという19世紀の地理学者。
上記の写真にもあるように、横浜市は、ペリーが来航し、幕府が開港するまで、横浜には数十軒の家しかありませんでした。現在は人口380万人の巨大都市に成長。
横浜市と長崎市の違い:横浜市は、正直に何もない寒村から、現在の380万都市になったと公表しているところです。それと比べると、長崎市の発表する歴史は、恣意的なウソがあり、何もなかった寒村を、大村純忠公が開港し町を造った歴史的な事実を隠しまくることのように思えます。
北海道と同じく、新開地の横浜。市民をつなぐ絆(きずな)が、森鴎外(もりおうがい:小説家で帝国陸軍の軍医だった)が作詞した横浜市歌になっていて、100歳の老人から、5歳の子どもまで、すぐに歌えるのです。
さて、横浜が開港して1年目。大村藩主が長崎奉行で、大村藩主がトップとして長崎市を統治する二年前、大村では五教館の時代。
幕末の1860年(明治維新の8年前)、プロシア国のリヒトホーフェンは日本にやってきて、支那(シナ、当時は清[シン]国)旅行の前に九州旅行をしています。その時の日記が翻訳され、九州大学から出版されています。
本の名前は「リヒトホーフェン日本滞在記」
本には、大村に関連することも書かれています。多良岳と普賢岳の違い、大村のこと、大村湾のことが登場しています。興味がある方は、ご一読ください。ほか、雲仙や島原のことも登場しています。
さて、今はどうか存じませんが、かつて、大村高校では全校登山というのが実施されていました。普賢岳登山もありました。普賢岳登山(大噴火前)は、男子は徒歩で、登山しました。女子は、登りも下りも仁田峠からロープウェイでした。
登山の途中、生物の先生が、さまざまな解説をしてくれました。教室での授業は何も思い出に残っていないのですが、登山したときのことは残っています。
大噴火前の普賢岳は、山上に湖があったり、全校登山は7月でしたが、普賢岳の風穴には夏なのに凍結した氷があり、自然の神秘が観察できました。