【危険な韓国人】長崎県警察資料と、機動戦闘車(きどうせんとうしゃ)配備の理由

国内に機動戦闘車(きどうせんとうしゃ)の配備が進む理由は、日本国内の反日勢力が重武装化を進めてるからのようです。反日勢力というのは、公安のホームページにあるような団体です。日本共産党、朝鮮人、中国人、過激派と結びついた民主党、社民党などです。

乗り物ニュース様より
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機動戦闘車の性能

舗装された道路での機動力は戦車より、機動戦闘車(きどうせんとうしゃ)が圧倒的に優れています。今後、中国との戦争、あるいは不法占拠している竹島を返還しない韓国と争いが生じた場合、反日勢力が、日本国内の都市で、ゲリラとして武装蜂起する可能性があるから、機動力のある重火器を備えた機動戦闘車が必要なのです。

*日本国内用の兵器なのですが、海外で性能が評価されています

日本周辺で有事が発生した場合、国内の都市部で反日勢力がゲリラ活動と武装蜂起など、反社会的な活動を始めた場合、機動戦闘車が、戦車より迅速に出動。そして、反日勢力の暴動をすみやかに鎮圧することが期待されます。

今年、平成28(2016)年より、国内に300両、各陸上自衛隊に配備されます。長崎県の陸上自衛隊は大村と佐世保(相浦[あいのうら])です。

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*27秒より、各国の機動戦闘車の砲撃の比較 / 日本の機動戦闘車は3分13秒より

なお、終戦直後、昭和21年/1946年 5月13日、長崎市で朝鮮進駐軍事件(長崎警察署襲撃事件)が発生し、長崎県警の警察官が、朝鮮人暴徒と中国人暴徒によって殺害されました。

*各地で発生した朝鮮進駐軍(ちょうせん しんちゅうぐん)事件:余命三年時事日記より P105
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**在日(ざいにち)というのは、在日韓国・朝鮮人のことです。

***日本国内の凶悪犯罪、ほとんどが在日(ざいにち)とよばれる韓国・朝鮮人によっておこされています。全国で発生した朝鮮進駐軍事件で、朝鮮人が4000人もの日本国民を殺害した事実があります。

当時、戦前の軍は解体され、日本に軍隊がなく、警察は火器を装備していませんでした(拳銃はあるものの弾丸が入っていませんでした、つまりお飾[かざ]り。武器は警棒だけでした)。

したがって、武器を装備した朝鮮人と中国人の暴動で、警察は丸腰(警棒だけ)で戦わなければならず、長崎県警の警察官1名が、朝鮮人暴徒および中国人暴徒により殺害され、殉職(じゅんしょく)されました。

この資料は、長崎県警察史編集委員会『長崎県警察史 下巻』(長崎県警察本部 1979)のp1051~1061にあります。

長崎県警資料より
*注:漢数字が、横書きだとわかりにくいので、漢数字だけアラビア数字に変更しました(例:昭和二十一年→昭和21年)、難読漢字にふりがなをふりました(例:騒擾事件→騒擾[そうじょう]事件)

その1

長崎県警察では、こうした不法事案の徹底的取締の先鞭(せんべん)として、昭和21年(1946)5月13日、長崎市内の各警察署、警察部共同の下に280名の検挙隊を編成して、長崎市浜町の闇(やみ)市場場に対し、一斉取締を行い日本人150名、中国人6名、朝鮮人26名を検挙した。

この検挙に端を発し、警察に対抗しようとする中国人・朝鮮人の暴徒数100名は、長崎警察署襲撃の挙に出て、十数名の重軽傷者を出し、巡査 花岡重吉は重傷後遂(つい)に死亡し、警部 宮野勝利は頭蓋骨骨折の重傷を受け、今なお、後遺症に呻吟(しんぎん)するという、一大不祥事件が発生した。

 この事件の鎮圧については、当時、長崎に駐屯する占領軍の各機関の力があったことはいうまでもない。

 暴徒の検挙取調にあたっては、第三国人の集団のため、氏名不詳・犯行後逃走所在不明者も多く、また、披疑(ひぎ)者の取調(とりしらべ)に当っては、犯行の否認に終始したため、困難な点が多かったが、警察では徹底究明の方針をもって、長崎地方検察庁検事の出動と県刑事課員、長崎市内及県下各署の捜査員を中心とした活動により、一ケ月間にたる捜査の結果、騒擾(そうじょう)事件として中国人7名は逮捕の上、占領軍に引渡し、朝鮮人検挙者60名は、同年6月13日送致し、事件は一応落着した。

 その後、朝鮮人間には、まだ日本に取締権限のあることを認識させたが、中国人の居留する長崎市新地町での贓物(ぞうぶつ)の隠匿(いんとく)、中継地的な特色は、この種犯罪の捜査に困難を生じた。

その2
長崎県知事名による資料
抜粋

昭和21年5月20日 
長崎県知事
                                   (長崎県警察部長)
 内務省警保局長
 九州山口各県知事 殿
 (管下各警察消防署長)
   中華民国人朝鮮人の騒擾(そうじょう)事件に関する件

 5月13日長崎市西浜町所在自由市場の一斉取締を敢行(かんこう)し日本人朝鮮人中国人の違反者を長崎警察署に引致して取調をしたところこの措置に憤激(ふんげき)した朝鮮人中国人等が約100名位大挙して長崎警察署外巡査派出所を襲撃し警察官に暴行を加へ又は器物(きぶつ)を破壊して逃走した事件が発生し目下 騒擾(そうじょう)事件として取調中ですが状況左記の通でありますから報告(通報)致します

中略

中国人・朝鮮人約100名は、各自に梶棒(かじぼう)・鉄棒・野球用バット等携帯し、突如長崎警察署を取巻き石煉瓦(いしれんが)等を手当り次第(しだい)硝子(ガラス)窓に投げ付け 一部は階下行政室及中庭に乱入し器物破壊(きぶつそんかい)の限りを尽し居合せた警察官に次の通り暴行傷害を加へた

ソース                           

長崎県都市部の場合、長崎市が危険です。

九州各県(福岡、佐賀、熊本、鹿児島、大分、宮崎)は県庁所在地の周辺に自衛隊がありますが、長崎県の長崎市だけありません。佐世保には自衛隊基地と駐屯地、また大村にも自衛隊基地と駐屯(ちゅうとん)地がありますが、長崎市内にはありません。

ほか、長崎市には中国共産党の活動拠点となる可能性が高い中国領事館、それに中華街があります。

浜町(浜の町)は、警察資料にあるように、もともと朝鮮人の闇市(やみいち)でした。現在、アーケードがある閉鎖空間ですので、反乱やテロが発生した場合、閉じ込められる可能性がある危険な通り(とおり=street)だと思います。

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長崎県警の資料を読んでみると、第二次大戦後発生した朝鮮進駐軍事件では、浜の町と長崎中華街(新地)が、テロ集団の活動拠点になっていたようです。長崎県警の警察官が、朝鮮人と中国人により殺害されました。

また、大村市では、昭和27(1952)年、朝鮮進駐軍事件(大村収容所事件)が2回も発生しました。大村では、当時、警察の人員が不足していたため、警察と各消防団が協力し、朝鮮人の反乱を鎮圧しました。

*各地で発生した朝鮮進駐軍(ちょうせん しんちゅうぐん)事件:余命三年時事日記より P107
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**在日(ざいにち)というのは在日韓国・朝鮮人のことです。

当時、戦争直後で、軍が解体され、自衛隊がありませんでした。警察も拳銃はあるものの威嚇(いかく)用で弾丸がなく、武器が警棒だけでした。だから、武装した朝鮮人、中国人によって、各地で多数の日本人犠牲者がでました。朝鮮進駐軍事件という、この事実は、マスコミは報道しませんし、ウィキペディアからは削除されています。

朝鮮進駐軍事件に関して

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