【在校生向け】校長先生の実力

40年後の私たちへ

40年前(昭和47年/1972~昭和50年/1975)の大村市立玖島中学で撮影されました。
(ipad、iphoneでは表示されません)

25年後の私たちへ
大村市立大村中学校の設立時に校長先生によって、タイムカプセルに残されました。

残念ながら、校長先生は、大村中学でタイムカプセルが開封される前に他界され、25年後の生徒の姿を見ることができなかったと、リンク元ブログありました。

大村中学タイムカプセルより全文引用

立派な文章です。各方面、すべてに気をつかい、生徒の将来も考えていらっしゃいます。

「心覚え」   校長 平野 力

真空からは何も生まれないという言葉がある。人が学んでいくためには、それなりの基盤が必要である。また学んでいくときの思考、処理方法がなくてはならない。
プラス意欲と根気も大切な要素となり、これからの問われる教育は学んだ力、プラス学ぶ力であろう。

人間成長の基礎はその人の十代に決まるといえる人を多く知っている。その共通したところは「心覚え」のしっかりしたものを持っている。勉強には面倒でも辞書を引き、計算をし、物を書き自ら研究工夫をしなければ勉強とは言えない。

希望と夢を持つ、そして拓くために具体的な計画を立てる、目標を定める、成るための努力をする。確かな勉強が必要になってくる。自主的に、自分のやり方で勉強する、その心覚えをいつも忘れないでほしいと生徒にいう。

平凡な人間で終わるな、一技一能を身につけよ、学校は中学校が始まって四十年になる。昔の大中が二十年、玖島中が二十年、我が大中は一年である。新生大村中学校の歴史は今始まった。その歴史の一頁を輝くものにし、校風の礎を固める大中生徒である。

創業の苦心は本校とて同じであるが十四億円もの資金を投じて、何もかも新しい、恵まれた教育の殿堂を建設して下さった市や県や地域社会の人々に感謝し、美しくゆかしい、校風と伝統が樹立されるように、職員も生徒七百名もみんなしての願いであろう。

義務教育九ヵ年を終わろうとしている第一回生、ここに二百三名が希望に輝いている。
自分とはどんなものかということをいくらかは知る力が与えられたと思う。

鏡に写してみる自分の姿は、形としてははっきりとつかめるであろう。自分の性格や心というものが鏡に出てくるとよいのであるが、その自分の心が 見える自分に成長してくれるものと信じたい。それは自分をきびしく見つめることのできる知性(知恵)を磨かねば見えないからである。自分の力を磨くこと も、自分の力を生かすことも、将来を拓くこともこの知性が必要だと思います。

私は二十五年後の、皆さんの姿と皆さんの学んだこの学校の姿を、共にこの眼で見たいものだと思う。

大村中学校に寄せることば

すばらしい校舎が出来た
これからはみんな一緒だ
三城、旭が丘、東大村
よろこびに心もはずむ
新たなる決意をもって
樹立しよう 新校風を
踏み出そう 理想への道を

昭和六十二年三月(明治一二〇年春)一九八七年

おさらい
現在の大村市立大村中学校の前に、もう一つ、大村市立大村中学校がありました。
1.大村市内の中学校:大村中学、鈴田中学、三浦中学、西大村中学、郡(こおり)中学、萱瀬(かやぜ)中学

2.大村中学、鈴田中学、三浦中学を統合し玖島中学に。つまり、大村中学+鈴田中学+三浦中学=玖島中学

1970年代の玖島中学

1970年代の玖島中学

3.玖島中学(校区:大村小、鈴田小、三浦小)から、大村中学(校区:三城小、東大村小、旭が丘小)が分離しました。

最近の玖島中学 以前のグランドが校舎になり、校舎の場所がグランドになっています。プールと体育館は元のままです。

最近の玖島中学
以前のグランドが校舎になり、校舎の場所がグランドになっています。プールと体育館は元のままです。

25年後の私たちへは、玖島中学から大村中学が分離した時に書かれたものです。

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