新春の能(のう)、狂言(きょうげん)の舞台を観てきました。観世流(かんぜりゅう)です。
能、狂言など古典芸能を深く知りたい、極めたいなら、東京の大学ならば、選択肢は2つです。東京の國學院大学と学習院大学だけです。明治、早稲田、東大、慶応など入っても、きわめていくことが難しいです。なぜなら環境がないから。
古典芸能に関して、もっともいい環境は國學院大学です。
その理由は、能、狂言、歌舞伎などの古典芸能の家に生まれた方々は、そのほとんどすべての方々が、中学から國學院に入り(國學院や國學院久我山)、大学まで國學院です。本物の方々に出会うことが可能です。
能や狂言などは神事で、神様に捧げることが前提です。神道の大学は、日本に2つしかなく、東京の國學院と、三重県伊勢にある皇學館大学だけです。
東京の学習院は、古典芸能の本物の方々は入学はされませんが、古典芸能に関してサークル活動が盛んです。
さて、武家は、鎌倉時代に始まり室町時代に完成された能・狂言の鑑賞ができることが、教養の一つでした。能、狂言は800年も続き、完成された芸術です。
能には4つの流派があります。観世(かんぜ)、金春(こんばる)、金剛(こんごう)、宝生(ほうしょう)です。九州には、熊本にだけ本物の能(のう)が残っています。流派は金春(こんばる)流です。
なぜなのでしょうか?
現在の名古屋市中村区、昔の言い方なら、尾張・中村の加藤清正(かとうきよまさ)公が、熊本に持ち込みました。近所で、生まれ育った加藤清正と豊臣秀吉は、能が好きでした。そして豊臣秀吉は、金春流の熱烈なファンでした。
そういう背景があり、熊本に能が残り、現在も続いています。
肥後の能楽
金春流
大村の玖島城も、加藤清正公の影響を受けています。石垣の石の積み方です。
具体的に書けば、名古屋城の石垣、各大名が競って石垣を積んだ場所があり、そこで加藤清正公の石工(いしく)集団が積んだ石垣があり、他の大名と比較ができます。近いうちに写真を貼ります。
長崎市のある歴史家が、「加藤清正によって大村・玖島城の石垣ができたとかウソいうな」みたいに言われたことがあります。
しかし、その歴史家、事実を調べて発言したわけではないのでしょう。
長崎市民の特長として、「なんでも長崎が一番、大村ごときがでしゃばるな」という感じの方でした。利益を長崎市に独占させて、他の地域に分配しないのが長崎市民や長崎県庁の基本的な考えのようで、それは明治以来一貫して続いているようです。
実際、長崎市は町人の文化で大村とは違います。長崎県の大きな間違いは、ウソの歴史を押しつけて長崎県を統治していることだと思います。長崎市と長崎県が吐きつづけるウソの歴史に関して、本年はシリーズ化してゆきます。長崎市と長崎県の官民あげてのウソにだまされないようにしましょう。
なお、織田信長は、加藤清正に比べ、配下に器用な石工集団をもたなかったため、織田信長が築いた城は、石垣が立派ではありません。城は復元されたものですが、石垣だけ残った小牧城(こまきじょう)でそのことが確認できます。行って確認してきました。写真はいずれ貼ります。