理科系の方は、発明や大発見による問題解決が学問的手法だと思いこんでいるのではないでしょうか?
しかし、発明がない文科系の学問的手法は、関連性(つながり)を、いつ・どこで・だれが・だれと・どうした・それからどうなったの視点で調べて、時代、場所、人間関係、残された文書、過去の発言など調べることから始まると思います。理科系と文科系では、手法が違うように思います。
さて、以前、大村高校校歌を作詞した福田清人(ふくだ きよと)先輩のことがアップされていました。もう一度復習しておきます。
(大村高校校歌は)どんな人が創(つく)ったの?
作詞: 福田清人(ふくだ きよと)先輩 [1904生-1995没]旧制大村中学を2番で卒業→旧制福岡高校(九州大学教養部)→東京大学文学部卒
東大卒業後、立教大学文学部教授、実践女子大学教授、1975年勲四等旭日小綬章を受章
東大時代の同級生に
・入江相政(いりえ すけまさ:学習院大学教授→宮内庁侍従長)、・堀辰雄(ほり たつお:小説家)、
・臼井吉見(うすい よしみ:小説家)、
・成瀬正勝(なるせ まさかつ:小説家、東大教授、尾張藩[現、愛知県犬山市]犬山の犬山城の城主、大名の子孫)。
わたくしの興味は、福田清人先輩と東大国文科同期で、犬山城の所有者だった成瀬正勝(なるせ まさかつ)氏のことでした。犬山城は、平成16年/2004年まで、成瀬家個人所有のお城だったとありました。お城のことや構造に関しては、城好きの方や城マニアの方におまかせいたします。
現存している城で日本で最も古い国宝・犬山城(いぬやまじょう)に行ってきました。名古屋駅からクルマで1時間程度で到達可能です。電車は名鉄(めいてつ)ですが、電車は到着後、バスやタクシーなどの接続が悪いと聞きましたのでクルマで移動しました。
犬山城がある愛知県犬山市は人口7万で、大村市より小さいのですが、堂々としたお城、歴史を大切にする姿勢、そして江戸時代の町並みを保存しています。
今後、大村市の玖島から片町、本町にかけて(過去から続く歴史遺産のあるエリア)をどういう方向にもっていけば良いか、ヒントになりそうな部分が多くあることがわかりました。具体的なことはこのエントリーのテーマではないので省略します。
福田先輩と同期で犬山城の所有者だった成瀬正勝(なるせ まさかつ)氏の写真が、犬山城内のみならず、犬山城下にも展示してありましたので、その写真を貼っておきます。
天守閣から見える木曽(きそ)川です。織田信長の時代から現在まで、とても見晴らしがよく、当時は橋はなかったため、敵が攻めてきてもすぐに発見できそうな場所に築城されていました。
犬山城が築城されたのは、大村純忠公がキリスト教の洗礼を受け、日本初のキリシタン大名(1563年)となる26年前です。