出典:大村史談五十七号(平成18年/2006年発行)表紙より
写真は、今から87年前、昭和5年、つまり1930年です。鶴亀橋です。
本町から片町方面が撮影されています。行列の内容は、大村武純(おおむらたけずみ)男爵(戦前の華族[かぞく]制度による爵位[しゃくい])がなくなられたので、その葬送です。
撮影場所は、今はなくなっていますが、本町にあった山乙(やまおと)料理店3Fから。
カメラを設置して撮影された山乙(やまおと)料理店の場所は大村寿司「やまと」の隣で、空地になっています。
*グーグルストリートビューより
注目すべきは、大日本帝国陸軍のトップである陸軍大将・福田雅太郎(ふくだまさたろう)先輩の軍服姿があることです。
*大村高校の前身・旧制大村中学、陸軍士官学校、陸軍大学、台湾軍総司令官を経て、帝国陸軍トップの福田雅太郎先輩。
日露戦争時は作戦参謀でした。
*日露戦争とは?意味がわからない人のために。
ほかには、私の曾祖父(ひいじいさん)、祖父母もこの中に(片町方面の群衆の中に)いたということです。
大村の戦前の行列やパレードは、通常、本町から片町に向けてのものが多かったようですが、葬送の行列は逆で、この写真のように片町から本町にかけてでした。
なお、この当時、国道34号線は開通していません。また、片町のこの付近は、昭和50年代(1980年代)まで、長店(ながみせ)とよばれていました。
鶴亀橋付近は、あまり昔とかわっていないんですね。