実は、ほとんどの場合、日本で英語は必要ないでしょう。なぜ、日本がTOEFLやTOEICの点数が悪いかと言えば、英語がなくても、生活、学問、そしてビジネスも、ほぼ困らないから、熱心に学習する必要がないからなのです。
アジアで、日本以外の国では、外国の文献、論文、文学作品、書籍は、翻訳がなされず、英語が読めない場合、研究も鑑賞もすすまない実情があります。
日本の場合、外国の最新の本が、数ヶ月で日本語に翻訳され出版されます。日本語が読めれば、日本では、小学生でさえ、専門書籍を読むことができる環境があります。
一例として、留学経験もなく、英語が不得意だった名古屋大学の素粒子物理学者・益川敏英(68)博士が、ノーベル賞を受賞されたことで、日本国内では英語はほとんど必要なく、英語ができなくてもノーベル賞まで受賞できてしまうという事実により、証明されています。
ほかに数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞の日本人受賞者も、同様の方がいらっしゃるそうです。
ところで、わたくしは歴史が好きで、高校時代に大村市本町にあった文光堂(今は片町に移転)で取り寄せてもらい、多数の岩波新書の歴史物を購入し、読んでいました。
それから年月がたち、大学の時に、外国から日本の大学院に留学していたアジアの留学生と話す機会があり、驚いたことがあります。
わたくしが高校時代に、岩波新書で読んだ「E.H.カー 歴史とは何か」という本を、歴史学専攻の留学生が、この本を知らなかったこと。ゆえに、読んでいなかったこと。当時は、日本以外のアジアでは、この本が翻訳されていなかったので、英語で読まなければならなかったということを知ったこと。
だから、アジアの日本以外の他国では、ほとんどの学生は、専門書籍が英語だけ。また、大学で授業教材として本が指定されるか、試験や論文に必要ではないかぎり、知識を習得するという考えがないということが、大学時代にわかりました。
日本では、趣味で専門書を読む人が多数いるために(わたくしも含め)、出版業界が成立し、国民の教養がある程度のレベルになっていますが、アジアの他国では、そうではないことがわかりました。
実際、アジアの他国では、英語ができなければ、情報が入手できず、専門書も読めず、即、学会からもビジネス界からも、置いてきぼりとなります。
日本の場合、商社や海外に進出する企業でも、通訳や海外駐在員となる人以外の多数の大半の業務は、英語でメールでやりとりできることと、契約書などがきちんと読めることがメインです。したがって、異論をお持ちの方もいるでしょうが、うまく会話できるより、英文の読み書きできる能力のほうが重要ではないかと思います。
さて、英語に翻訳できない外国語表現。
日本語は積ん読(つんどく)がエントリーしています。本を購入して、積んでおいて読まない状態です。この状態を一つの単語で英語に翻訳するのは難しいようです。
6. Tsundoku (Japanese) – When you buy a book and never get round to reading it.
続く