上記:まず大村博士のTV画面を見てみましょう。
ノーベル医学・生理学賞を受賞した大村博士が伝えたかったことを徒然草から探してみました。
高校時代に徒然草など読んでもさっぱりわからないものです。実は、わかるのは30半ば過ぎてからです。しかし、高校時代に習っていないと、その後、理解できないので、とりあえず、書かれていることがよくわからなくても、授業をしっかり聴いておくことが必要です。
大村博士が伝えたかったことは徒然草・百五十段だと思います。
動画による解説:徒然草 百五十段
【原文】
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、
年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
【現代語訳】
これから芸事を身につけようとする人は、とかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するのがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例はひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。
そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遙かに超えて、達人になっていく。人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。
いまは「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることが出来るようになった。どんな世界でも、同じである。
つまり、失敗してもいいから、名人やうまい人のなかで「もまれろ」ということです。
もっとわかりやすく書けば、
文系は東京の大学に入って、知的な刺激と大きな社会があり、自分より優秀な人がたくさんいる東京でもまれろ、
理系は、ノーベル賞やフィールズ賞(数学のノーベル賞)受賞者が出た大学(北大・東北大・東大・東工大・名古屋大・京都大・神戸大:理系は国立大学のほうが私大より予算が多く施設が充実している)に入って優秀な人からもまれろ、
ということです。