「ローマ時代は紙がなかった」というと、「羊皮紙やパピルスがあったではないか」と反論するかもしれません。当時は、価格が高すぎて、現在のノートやメモ用紙のように、羊皮紙やパピルスは、簡単にたくさんの枚数を使用できなかったのです。このことを頭においてください。
さて、ローマは独裁国ではなかったので、ローマの政治家は、有権者や議会を説得するため、長い演説をしなければなりません。紙がない時代、どうしていたのかというと、すべて暗記していたのです。
そこで暗記法が発達しました。ローマ時代の「記憶の宮殿法」と呼ばれる長い原稿の暗記法は、受験勉強に使えるとすれば、国語(古文)、社会(歴史)、英語(長文の物語をすべてあたまに入れる)で使えると思います。数学や理科(物理、化学、生物、地学)には使えないと思います。
「記憶の宮殿法」と呼ばれる暗記法は、古代ローマの政治家キケロ(B.C106年~B.C43、西暦が始まる106年前に生まれ、西暦が始まる43年前に亡くなった、つまり2121年前に生まれ、2088年前に亡くなった)が本に著(あらわ)し、現在に伝わっているものです。
著書 弁論家について(下)
86項から記憶と暗記法について書かれています。「記憶の宮殿法」と呼ばれているものです。この本は、ローマの歴史が身についていないと読むのが難しいので一般向けではありません。
このローマの記憶術をベースに、2011年に米国で売れ、日本語にも翻訳され、現在も販売されている本があります。
ただ、この本は、記憶に関するトレーニング本ではなく、著者が、古代から現代までの記憶術に関する疑問に答えを出しながら、記憶術をマスターするプロセスを伝えているものです。「記憶の宮殿法」に関しても書かれています。マインドマップは、知識をまとめるのには役立つが、暗記には役立たないことなど、マインドマップを考案したトニー・プザンに会ってインタビューした章は参考になります。
さて、高校2年の時に年号の暗記で、わたくしは暗記術を身につけました。年号は4桁ばかりです。たとえば、明治時代、旧制大村中学の開校は1884年です。これは「岩橋」で、暗記終了。岩石の橋と大村高校のイメージを結びつければ、もう忘れません。
最初は4桁だったのですが、7桁まですぐおぼえられるようになりました。長い数字は、095ー750ー1111など、区切っておぼえればよいとわかりました。当時、携帯電話がありません。相手に電話するときに、いちいち手帳やメモを開くのが面倒なので、暗記することにして、自分に必要な電話番号はすべて暗記しました。
携帯電話が登場するまで、メモのかわりに電話番号を暗記していた人は、世の中でたくさんみかけました。
それから、携帯電話の時代になりました。世の中では、電話内部のメモリーに入力するようになり、頭に入力しなくなりました。