大村高校と金沢大学 2

写真は金箔入りのソフトクリーム。金沢21世紀美術館バス停そばにあります。

長崎県は、五教館と旧制大村中学、大村高校が関係ないといった教え方をしていますが、それは事実ではありませんから、教える側(長崎県教育委員会、長崎県)を信用しないほうが良いと思います。長崎市と長崎県が流布を続けている「過去からずっと長崎市が最高」というデマにだまされないようにしてください。

同窓会の役職者の方々も、長崎県がおこなってきた事実ではない、事実を伝えない歴史に染められてしまっているようです。

だから、少しづつ、調べた事実を伝えることが必要だと思いますし、あえて事実を伝えない長崎県の方針に染められないようにしましょう。

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さて、まず金沢大学。金沢大学は旧制第四高校が前身です。戦前は長崎県に高等学校(高等中学)がありませんでした。九州内の高校は4校しかありませんでした。熊本の第五高等学校、鹿児島の第七高等学校、福岡の福岡高等学校、佐賀の佐賀高等学校です。

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国内にはナンバースクールとよばれる第一高等学校から第八高等学校と、各地に、いくつかの高等学校がありました。

第四高等学校の第三代校長は五教館出身の大島誠治(おおしま せいじ)先輩でした。大島誠治先輩の業績は、第四高校に武道場を開き、同じく五教館出身で、初代・大阪府知事となった剣豪の渡邊昇(わたなべのぼり)先輩を第四高校に招き、剣道場を解説し、武道を第四高校に広めたことです。

法政大学HPより 大島誠治先輩は第四高校校長のあと、法政大学学長
おおしま先輩

第四高校は、明治の建物が記念館としてそのまま保存されています。
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その建物である記念館に、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)出身の渡邊昇(「のぼる」ではなく「のぼり」と発音)先輩の名前と、大島誠治先輩の名前がありました。

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撮影禁止だったので、撮影はできませんでしたが、実は、渡邊昇先輩の直筆「道場規約」の看板が展示されています(常設展示)。

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また、第四高校の剣道場の名前も渡邊昇先輩が「無声道(むせいどう)」命名されました。

大村の大島誠治先輩が校長時代に、大村の渡邊昇先輩が命名した第四高校の「無声堂」の建物は、実は、そのままの形で現在も保存されています。場所は、愛知県犬山市の明治村4丁目34番地です。

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つぎに、詳細は別の機会に書きますが、五教館の後、明治になり、私立大村中学校ができました。開校後、長崎県がいやがらせして、開校を遅らせ、しかも、まったく援助しなかったために、大村中学は学校設立後、五教館の卒業生で、東京で成功した先輩の方々が、設備や施設のお金を出し続けました。しかも、毎月です。大島誠治先輩、長岡安平先輩、渡邊昇先輩、一瀬勇三郎先輩などです。そのおかげで、長崎県を信用してはいけないことが伝わっていますし、バンカラで独立自尊の気風が生まれました。

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五教館の先輩が、明治になっても、在校生のために寄付を続けました。その結果、学校に新しい設備が購入されました。長崎県は、「長崎市がなんでも一番、それ以外は認めない」という考えを続けており、大村の事実を消そうとしていますので、この点に関しては明治以来の伝統で、長崎県を信用しないほうが良いでしょう。

福岡県、鹿児島県、熊本県は権威と権力がありますが、残念ながら長崎県に権威はありません。権力はあるのに権威がない県なのです。権威に関しては、大村の場合、国があり大村があり、その下に長崎県がある感覚です。明治時代から、長崎県はいやがらせと押しつけばかりしてくる感覚、そして昭和になり、マスコミでウソを流布していること、大村の事実を消していることがあり、長崎県ができて132年間、ウソくさい長崎県という感覚が消えていませんし、続いています。

【在校生向け】大村高校と金沢大学 1
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